今年最後の金曜デモと「国民は不満を持っていい」と「若者よ、妄想力を抱け」

◎昨日は今年最後の金曜デモの日でした。そして25日なのでクリスマスでも。毎年この日の前後にクリスマス忘年会と称してお茶飲み会をするのですが今年はコロナのため声を掛けるのを自粛しました。ところで東京の感染者数は一向に収まらず昨日も880超えです。それで、今年最後のデモもオンラインで:いつものように「特別な1日」さんから引用です:2020年を振り返って:感謝と怒りと(Look Back in Anger) - 特別な1日 (hatenablog.com)

 
 
 
首都圏反原発連合
 
@MCANjp
 
【1225再稼働反対!首相官邸前抗議】
非常識にも40年超の高浜原発1,2号、美浜原発3号の再稼働を町議会が同意した現在、スタッフのみで今年最後の抗議を実施します (18:30-19:30)。
リモート参加はこちらから→twitcasting.tv/mcanjp
天気状況等により抗議中止もあります。coalitionagainstnukes.jp/?p=4142
 
 
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◎「感謝と怒りと」はデビッドボウイの「Look Back in Anger」という曲の紹介とともに今年の「感謝と怒り」を書いておられます。これもブログを訪ねてぜひ全文を読んでみてください。来年の3月になると、あの3・11から10年になります。それはまたそれで来年に・・・

◎今日は、手元にある朝日新聞の「オピニオン&フォーラム」の2つの記事についてメモ代わりに記しておこうかなと思っています。

1つは23日付の「耕論」の「『桜』からなにを見る」で3人の方が書いています」。政治学者の山崎望氏の「『言論の府』の軽視  広めた」とジャーナリスト魚住昭氏の「検察 政治介入へリベンジ」と最後に社会学者・富永京子氏の「国民は不満を持っていい」。

もう1つは25日付の「真山仁のPerspectives:視線 TOKYO 2020」と題する記事で、大きな見出しは「一寸先は闇 若者よ、妄想力を抱け」「現状維持から 踏み出してと書かれています。

私の関心事は、今の若者たちの考え方です。孫のいない暮らしなので今の10代、20代の関心事や考え方がわからないので、この記事が参考になりました。

昨日の安倍前首相の国会での謝罪も、ガッカリというか期待はしていなかったものの悪びれる様子なく、秘書の所為にして知らなかったと言うだけでお終い。来年の選挙には出ますよと当然のように。国民も国会もなめられていますし、「知らぬ存ぜぬを貫き通せば」何とかなる、じゃなくて「何とでもなる」という自信にあふれている感じでした。実際、そうやって8年の長きにわたって悪行の数々を乗り切っているわけですから国会も国民も本当に舐められています。そして、それこそが、選挙民である国民の変化に対する希望を打ち砕いて余りある原因でもあるんですね。

私たち高齢者は、こんなウソがまかり通る国会ではなかったことを知っていますが、今20歳の成人たちは中高生のころから政治のトップは「安倍首相」だったわけですから、社会や政治に期待しなくなったり、無力感を抱くのも無理はないのですね。 

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富永京子氏の「国民は不満を持っていい」によると:今の「多くの日本人は、立憲民主党共産党より自民党への信頼度が高い。」「仕事をしている」「結果をだしている」ように見える政治を評価する傾向にある「自己責任」が重視される世の中で結果を出すことは、政治に限らず、企業や学校など社会一般でも評価される。一方、野党のように政権を批判するのは「仕事をしている内には入らない」と有権者は解釈している。

◎これは、大阪の場合で分かります。吉村知事はパフォーマンスとメディアの露出で、さもコロナ対策で成果を上げているように見えて「よくやっている」という評価があります。毎日発表される感染者数、隣県の和歌山の数字は目を見張るような小さな数字です。仁坂県知事の科学的な対処の仕方を大阪が学べば減るのは分かっているのに仁坂知事によると出来ていないということです。でも、やってるふりが評価され批判は毛嫌いされる。

しかし、富永氏はこうも言います「今の生活に『満足』『どちらかと言えば満足』が合わせて92%。1973年のNHK放送文化研究所の調査が始まって以来最高の数字です。特に今の若い世代は、生まれた時が「失われた30年」のさなかで、政治に異議を申し立てないどころか、「悪いことがあればそれは自分のせい」と、諦める作法が身についている。しかし、私はもっと『不満』を持っていいと思います

 初任給が10万円余しかない、就職活動でハラスメントに遭った--。「桜を見る会」の話に関心が向かわずとも、ごく身の回りの理不尽に、人がモヤモヤした思いを持たないはずはありません。満足したふりをしなくていい。もっと政治や社会の所為にして構わない。そう思える人が増えることが、もっと多くの人が政治に関心を持つ出発点になると思います。」

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(真山氏の写真のキャプション:「JR秋葉原駅前のロータリー前に立つ真山仁さん。「お宅の聖地」は自民党が大勝を続ける縁起の良い「政治の聖地」になった=北村玲奈撮影)

真山仁氏の一寸先は闇 若者よ、妄想力を抱け」「現状維持から 踏み出して」は、出だしの「19年/災いの年の瀬に」という小見出しのところで:

 ほんの1年前まで、私は近い将来、日本を襲うであろう様々な危機の可能性を指摘し、『このままの状況が続けば、日本は近い将来、大変な時代を迎える。だから、それに備えて、一歩先んじた対策を講じるべきだ』と訴えて来た。

だが、新型コロナウィルスが蔓延して、あまりにも危機に弱い日本社会が露呈してしまったまさかの事態への備えを「無駄遣い」と切り捨て、危機対応の準備がおざなりだったことが顕在化してしまった

・その一方で、失敗したこと、努力が及ばなかったことを克明に記録し、いつか抜け出せるはずのコロナ禍後の未来に活かさなければと思う。

・我々の社会がいかに危機に弱く、不測の事態に売る耐えるのかを体感している今であれば、本気で対策も講じられるに違いないー

◎「ところが、必ずしもそうではないという現実」を突き付けられると真山氏は続けて書いています。私塾の「真山ゼミ」に集う若者たち(大半が30代の社会人)の話し合いの結果は真山氏の予想に反して「芳しくない」ものだった。「今は政治より自分たちの仕事を究める時」と「自分事」に限られてしまう。もう一つの大学生の参加者にしぼった「真山ゼミ」では、テーマは学生が自主的に選んで発表する形式をとって活発に話し合われるが、結論は現状肯定で「なかなか世の中は変わらない」に落ち着いてしまう。

そこで真山氏は檄を飛ばしています:

 現状認識をしっかり踏まえて、未来を想像し、何が足りないのか、何を足せばいいのかという思考をやめるな。

 そして、もっと妄想する楽しさを感じてほしいと願っている。それが身に付けば、未来への危機感は鮮明になり、恐怖や不安の質も変わってくるはずだ。

 真山ゼミに参加する若者らに共通しているのは「既存の壁をぶち破り新しい社会を生み出すぞ!」という燃えるような気概が薄いことだ。(中略)

 諦めからは、何も生まれない。

 そして、ピンチはチャンスなのだ。

 停滞し混沌とした現状だからこそ、若者の爆発力が必要になる

 しかも、未来に絶対確実なことなんてない。19年3月に秋葉原に立った時は、無敵だと思われた安倍前首相ですら、職を辞しているのだから

 一寸先は闇ーーー。2020年はそれを地で行く一年だった。そこで何とか生き抜き、私たちは年末を迎えようとしている。

 今年ほど、生きるとは何かを考えさせられた一年はなかった。

 その内省を、行動で生かす。

 そんな2021年でありたい。

◎70代以上の高齢者や40代から60代の働き盛りの人たちそして30代以下の若者たち、世代を超えて理解し合えるか。個人的にも来年の課題だと思っています。