◎今日は母の今年最後の面会日。先日、母からハガキでシクラメンの鉢がダメになったから何かお花をとリクエストがあったので、コーナンに寄って鉢花を買うことにしています。ノースライトの部屋なのでランにしようと思って直ぐデンドロビウムの鉢の所に行って品定め。丁度小型の鉢に花と蕾がバランスよく着いたものを選んで、ついでに北側の玄関先の鉢植えを冬仕様にかえるのに苗を買いそろえました。
ホームに到着、検温、うがい、手洗い消毒をしている間に母が歩行器でやってきました。いつもより早足で元気よく歩いてきました。まず、シクラメンの鉢とデンドロビウムの鉢の交換。豪華なお花と喜んでくれました。後は筆談で我が二人の息子たちの様子や、家で母のお気に入りのストレプトカーパスもカニサボテンもお父さんの遺影のある部屋で満開だということを知らせました。母からは「十二月の川柳・俳句・短歌の会」の栞をもらいました。その中から母の作品を:
微笑みを 返事に変えて 冬うらら
首体操 日課となりて 日の短か
◎1週間ほど前に東京在住の学生時代の友人から電話があり、28日に奈良の友人が退院の許可がでて、お正月は自宅で迎えることが出来ると聞きました。妹さんと二人暮らしなので退院お祝いにお歳暮のボンレスハムでも送るのはオカシイかな~なんて思いながらスーパーマーケットのお歳暮コーナーへ。お歳暮らしきものはもう置いてなくて、ショーケースの中はクッキーの詰め合わせやお菓子になっていました。クッキーも食べにくいし、ちょっと数は少ないけどマロングラッセを送ろうと思ってカウンターへ。期日指定が出来るというので28日の午後指定で送ってもらいました。ところが、次の日の土曜日の夕方、病院の彼女から電話。えっ!?なんで?でしたが、「御菓子、届いて・・・」と言うので間違いありません。「え~!退院の日が28日だから午後指定で送ったのに、もう着いたの?」「そう、妹から電話があって」「そうなの、わざわざ、ありがとう。それで、歩けるようになった?」「杖ついて歩ける」「もう冒険しないようにね」「それ、皆に言われる」「そうでしょ、二度あったから三度目はダメよ」「もう、気を付ける」「本は読んでる?」「軽いの読んでる。柳美里、読んだ?」「あ~アメリカで賞を取った上野駅のホームレスの話ね、読んでない」「私も読んでない」「柳美里さん、福島へ行って良かったね」と私が言うと「そう、良かった、顔が違う!」「ほんと、そうね、表情が違うね。人間て変われるのね~」「そうよ~!」「今度、貴女が言ってた斎藤・・・」「幸平」「そう、その人の本、送るからね。わざわざ電話、ありがとう。28日の分、今、言っとくね、退院、おめでとう!」でした。
🔲政府がコロナ対策にどうしても力が入らないのは来年のオリンピックのせい?
日本って一度手を付けたら間違っていても止めることが出来ない、引き返せない。あの戦争とおんなじで。なんで?と考えると誰も責任を取りたくないからですね。だから責任の所在も不明確にしてダラダラ、ズルズルと続けて、傷が深く犠牲が大きくなるのを見て見ぬふりしてやり過ごす。その結果がどんなことになるか戦争で経験しているのに・・・・メディアと国民も同じことを繰り返していては本当に大変なことになりますね: