◎「国破れて山河在り」。戦争を思う時、思い出す漢詩の一節です。国家が負けても『国土』は残る。『国土』には故郷とか自然とかが当てはまるかも、まさに「山河」ありですが、核戦争の場合はその自然も汚され人間は住めなくなる。戦争で強調されるのが国家とか民族とかの集団。おろそかにされるのは一人一人の個人。個人の誇りとか喜びを全体と一致させてはいけないと戦争中の日本を見て思います。土曜日のNHKスペシャル、国防婦人会の証言記録にもありましたが、戦争協力して自慢の息子たちを戦場に送り出して返ってきたのは息子たちの戦死と敗戦と後悔。
同じ土曜日のETV特集では長崎の戦争孤児収容施設「向陽寮」の60年ぶりの5人の同窓会を取り上げ、初代寮長として15年務めた餅田千代さんが子どもたちから「お母さん」と呼ばれ家族のように子どもたちを育て上げた様子が分かりました。アメリカで家政婦をしていて英語も話せたとか。集団の中でも孤児たち一人一人の思い出の中に生きるお母さんの愛情が伝わる番組でした。
東京五輪の閉会式の壇上で大会役員がスピーチしている間、外国人選手が芝生に寝そべったり談笑したりするのを見た日本人元五輪アスリートが、日本人は校長先生の話をキチンと聞くという学校教育のお陰で聴けていると言ったとか。これに限らず、戦後76年経って日本スゴイの番組やそういう話をする人に出会うと一寸と違うんじゃない…と思います。
◎大雨が続いて各地で大きな被害が。大阪も激しい雨が続いていましたが、昨日はやっと晴れ間が。雨が降り始める前の先週の火曜(10日)は30℃超えの晴天。前日母の入居しているホームから電話がありトイレットペーパーと入れ歯の洗浄剤が切れかけているというので届けることに。ついでに夫が長年使っている登山靴を修理に出したいので都心にあるロッジという店へ行きたい。その時、5分ほど路上駐車するので乗っててほしいというのでお安い御用と2年ぶりの都心ドライブに付き合うことに。
前回母と面会したのは1日でした。その翌日から大阪も緊急事態宣言が出され面会は出来ませんが、届け物は出来ます。受付へ行くと前日電話で知らせて下さった方だったのか、すぐわかってくださって預かっていただきました。それから一路新御堂筋線を大阪へ。
赤い観覧車が懐かしい
阪急の駅から歩いてきたことがある小さなコンサートホールのあるビル。
大阪の「丸ビル」(東京と違って丸い)が見えてきて・・・
安藤忠雄さんたちがビルの緑化と言っておられた蔦もここまで。
いきなり大阪駅の真正面に出て来ました。新しい駅ビルの正面を初めて見ました。
よくニュースに登場する大阪駅と阪急(ベージュのビル)を繋ぐ高架橋。
(↓)右のビルが阪神百貨店。大人気の食品売り場でコロナ感染のクラスター発生。
売り場が暫く閉店していましたが・・・
ナビオ阪急と観覧車
曽根崎のお初天神通りが見えました。北新地と呼ばれるところかな?
淀川を渡ると大阪を離れます・・・
新御堂の突き当たりはトンネル、トンネルの向こうは箕面の森(しん)町、
突き当たりの手前の信号を左(西)へ折れて桜通りを走って我が家へ。
北摂の山並みが見えてくると我が家も近いと・・・ホッとします。
青天とはいえ写真には大雨を予兆するかのような雲も写っていました。