「高市早苗氏の歴史認識?」と「本屋大賞・逢坂冬馬さん『絶望することはやめる』ロシアへの思い語る」

◎これが政治家の言葉? かつて日本が侵略した国々へ観光で出かける一日本人旅行者であっても、こんな発言はしないし、したとすれば呆れられるでしょう:
 
 
 
 
 
 
 
 
山崎 雅弘
 
@mas__yamazaki
「歴史を学ぶことの意味」をこれほどあからさまに足蹴にして愚弄する発言を、高市早苗という政治家は国会で行い、今も政権与党の幹部というのが、現代日本の病理を物語っています戦争の当事者とは言えない世代ゆえに大日本帝国を美化礼賛する思考は、愚かという以外にない。
引用ツイート
 
 
M16A HAYABUSA
 
@M16A_hayabusa
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こんなことを平気で言える人間が総理大臣になって、何かの間違いで日本が戦争を他国に吹っ掛けた挙げ句、敗けたらどうなる?多分、言い出しっぺは知らぬ存ぜぬの態度で国民に責任を丸投げして逃げるぞ。
 

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◎北側にあるリラ(ライラック)が満開に近くなりました。

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本屋大賞といえば昨年の受賞作「流浪の月」(凪良ゆう)が映画化され来月公開されます。李相日監督5年ぶりの映画、出演者は広瀬すず松坂桃李横浜流星多部未華子です。この年の3位は「線は、僕を描く」(砥上裕将)でしたが、これも水墨画に出会い救われる大学生を横浜流星が演じて映画化され今年秋には公開されます。文庫化された「蜜蜂と遠雷」(恩田睦)は2017年度直木賞本屋大賞ダブル受賞作。東京の長男に「音楽が読める」からと薦められていましたが、ぐずぐずしているうちに映画化され、私は映画を先に観ることになってしまいました。松岡茉優松坂桃李、森崎ウイン、そして風間塵をデビュー当時のキーシンそっくりに新人の鈴鹿央士が演じました。

先日、図書館にないというので本屋さんで「蜜蜂と遠雷」を探しているときに今年の本屋大賞の「同志少女よ、敵を撃て」がたくさん置いてあるのを見ていました。小説の内容と現実があまりに見事にリンクしたことを著者が一番驚いていることだろうと思っていました。先日朝日新聞の「ひと」欄に取り上げられたので記事を写真に:

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★それでは、本屋大賞受賞のスピーチを朝日デジタルの記事から:

本屋大賞の逢坂冬馬さん「絶望することはやめる」ロシアへの思い語る

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 第19回本屋大賞をデビュー作「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房)で受賞した逢坂冬馬さんのスピーチ全文は以下の通り。

 本作につきましては、出版前からゲラで感想をいただき、多くの書店員のみなさまに愛されていると実感することの多い作品でした。このような素晴らしい賞をデビュー作にもかかわらず授けていただき、ほんとうに感謝の気持ちで胸がいっぱいです。ありがとうございました。

 一方で、私の心はロシアによるウクライナ侵略が始まった2月24日以降、深い絶望の淵にあります。ナチスによるポーランド侵攻、あるいは満州事変に匹敵するむき出しの覇権主義による戦争が始まったとき、私はこの無意味な戦争でウクライナの市民、兵士、あるいはロシアの兵士が、どれだけ亡くなっていくのだろうと考え、私自身が書いた小説の主人公セラフィマがこの光景を見たらどう思うのだろうと考え、悲嘆にくれました。小説の中で情熱を傾けたロシアという国名に対して一体何を思うべきなのか、終始考え続けました。
 

 先日、それを再度考え直すきっかけがありました。ロシア国営放送に籍を置いていたジャンナ・アガラコワさんはパリ特派員として働いていましたが、この戦争をきっかけに自ら職を辞されることを表明しました。国境なき記者団の会見で、アガラコワさんはこのように述べています。「独立系メディアは日々、国による統制を強められつつある。ロシア国営放送は放送の中にただ一人の権力者とその周辺の人物しか映していない」。そのように述べた中で、自らの属していたロシア国営放送をこのように総括しました。「我々の放送の中にロシアはいない」

 私はこの見解をおおむねその通りだと思う一方で、では日本、あるいは欧米の放送の中にアガラコワさんのいわんとしているロシアはいるのだろうかと考えました。ロシアと、欧米や日本のメディアは、ロシアというものを非常に対照的に描き出しています。それはあたかも鏡に映った実体と虚像のように、きわめて対照的でありながら、映そうとしているものは共通しているようにも思えます。プーチン大統領やラブロフ(外相)や、あるいは軍隊、オリガルヒ(新興財閥)といったものを、ロシアの表象として描き出し、どう評価するか。確かに対照性がある一方で、映されないものは共通している。そのように考えたとき、日本のメディアの中にもなかなかアガラコワさんの言おうとしたロシアを見つけるのは難しいように思われました。しかしながら、ロシアと違い、幸いにしてニュースに耳をよく傾けたとき、プーチンではないロシア、というものを、ほんとうに少しながらその姿を見いだすことができることに気づきました。

 ですから私はアガラコワさんの立場を支持するとともに、ロシアの尊敬される作家であり、開戦に際していち早く戦争という絶対悪をやめよという声明を独立系のラジオ「モスクワのこだま」で発表されたドミートリー・ブィコフさんの立場を支持し、あるいは1945年にレニングラードで生まれ、反戦運動に参加して警察に拘束されたアーティストのエレナ・オシポワさんの立場を支持し、あるいは国連気候変動会議において、自らの立場を省みず戦争を防げなかったロシア人としての謝罪を表明されたオレグ・アニシモフ博士の立場を支持し、あるいは戦争反対と書かれたカードを持って、花束をウクライナ大使館に届けようとして逮捕された小学生の子どもたちの立場を支持したいと思います。同様に、戦争に反対する運動に加わったことによって、これまでに拘束された1万5千人以上のロシアの人々と、戦争反対の署名に自らの名を書き連ねた100万人以上のロシアの人たちを支持し、ロシアという国名を聞くたびに、私はその人たちのことを考えたい、そう思うようになりました。

 一方でそれらが依然として小さい声であることに変わりはありません。支持率や世論調査といった大づかみな数字だけを目にすれば、相変わらずプーチン政権は盤石であるし、それによって、この虐殺を含むひどい侵略戦争について、ロシア国民が一体となって支持しているようにも見えるでしょう。しかしいまロシアのメディアが置かれた状況を考えれば、プロパガンダと報道は完全に一体化しています。そこに展開される報道は多分に国民にとって心地の良い物語なわけです。自らの軍隊は虐殺とも拉致ともまったく無縁の清らかな存在であり、自国民保護のために勇ましく戦っている、と。そのような欺瞞(ぎまん)に背を向け、長期拘束の危険をおかし、あるいは最悪の場合、戦地に行かされる可能性があるにもかかわらず立ち上がった人たちのことを私はロシアととらえたいし、その小さな声に耳を傾け、忘れないようにしながら、その声をできるだけ増幅させていきたい。そのように考えています。

 今回、副賞として10万円分の図書券をいただきました。ありがたいことなので本をたくさん買いますが、いただいた10万円分、ロシアで反戦運動のために立ち上がった人たちに使わせていただきたいと思います。ロシアの人権擁護団体である「OVDインフォ」は、アメリカを起点とするクラウドファンディングのプラットフォーム「グローバル・ギヴィング」によって、ロシアでの反戦活動により拘束された人たちの法的支援を行っています。細かい計算が面倒くさいので、1千ドルにしてお送りします。

戦争というものは、始めるのが非常に簡単だと今回も立証されてしまいました。非現実的で希望に満ちた意思決定のプロセスと強大な権力があれば、すぐにでも戦争を始めることが可能です。しかしながら平和構築は誰かに命令されてすぐさまできるようなものではありません。だからこそ、戦時においても、また平時においても、平和を望む人たちは、平和構築のためのプロセスに可能な限り参加し、それぞれの市民というレイヤーの中で、お互いに信頼を勝ち取っていかなければなりません。

 私の描いた主人公セラフィマがこのロシアを見たならば、悲しみはしてもおそらく絶望はしないのだと思います。彼女はただ一人、あるいは傍らにいる誰かと町に出て、自分が必要とされていると思ったことをするのだと思います。なので私も、絶望することはやめます。戦争に反対し、平和構築のための努力をします。それは小説を書く上でも、それ以外の場面でも、変わりはありません。

本屋大賞の逢坂冬馬さん「絶望することはやめる」ロシアへの思い語る:朝日新聞デジタル (asahi.com)