「”普天間デマ”と自衛隊」そして、母の面会と5月の庭に咲く花

🔲太田実海軍中将の遺言「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世格別のご高配を賜らん事を」を今の自衛隊は忘れたふりをしているのでしょうか。普天間基地にはもともと人が住んでいたのに「住んでいなかった」とするデマを本土の人間が:

 
 
 
 
 
 
 
山崎 雅弘
 
@mas__yamazaki
そのデマを広めたのが、百田尚樹でしたね。「普天間飛行場は田んぼの真ん中にあり、そこに商売目的で人が住みだした」と。
引用ツイート
 
 
原田浩司/ Koji Harada
 
@KOJIHARADA
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普天間基地移転問題では、定期的に米軍基地が出来た後に人が住み始めたのに...というお話が出没する。そして、終戦直後の焼け野原の画像を提示して、~人が住んでいなかった~証拠としてしまう。 添付画像が、米軍撮影による戦争直前の普天間基地周辺の様子。当時の普天間の集落の様子が分かります。 twitter.com/OsoraHighbridg…
 

 
 
 
 
 
 
 
山崎 雅弘
 
@mas__yamazaki
その「普天間デマ」を流して基地に反対する沖縄の市民を貶め、市民の声を代弁する沖縄の新聞二紙を「つぶさなあかん」と自民党の勉強会で言い放った百田尚樹を、航空自衛隊那覇基地はVIP待遇で歓迎。沖縄の陸上自衛隊幹部は、住民を巻き込んだ牛島司令官の慰霊碑に毎年献花。
引用ツイート
 
 
山崎 雅弘
 
@mas__yamazaki
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百田尚樹氏が「普天間飛行場は元々、田んぼの中にあった」等のデマを流し、安倍政権に従わない県民を誹謗し、沖縄の新聞二紙をつぶせと恫喝している一方で、航空自衛隊那覇基地が、そんな百田尚樹氏にきわめて好意的だという事実は、いろんな意味で重い。自衛隊は米軍と県民のどちらを優先するのか
 

◎月曜日、10時にホームの母との面会予約を取っていたので二人で出かけました。

ホームのスタッフさんの間でPCR検査陽性者が相次いで出て、しばらく面会は禁止だったので久しぶりに会う母。歩行器でやってきた母は随分元気そうです。

先週の土曜日ケアマネのSさんから電話で、お粥だった主食を普通食に戻そうと思うというお話で栄養補給のプリンも控えてよいとのことでした。「ごはん、どう?」と尋ねてみたら、「食事が普通食に戻って嬉しい。まだ2回ほどだけど」と本当に嬉しそう。おかずは誤嚥を避けるため全部砕いて(ミキサーにかけるようですが)ということで、不味いけれど仕方がないと母も納得していました。(↓カキツバタの花)

私のバッグに両親がお世話になっていたクリニックのチラシを入れていたので、母に見せました。芦原池の南で開業された時から両親が通っていたクリニックのO氏。数年前に癌を患われて、退院後も診療を続けておられましたが、4月に新しい医師にバトンタッチされて引退されました。その新しいYクリニックのチラシでした。母も関心を示して「Oさん、クリニック閉められたの?」と。代わりの人に譲って看護師さんたちはそのままと、先日二人でお腹を壊して初めてお世話になったので答えました。若くて精力的なお医者さんで、めったに薬を出さなかったO先生とは違ってかなりきつめの薬を処方されるので用心しようと思いました。

先日ブログ仲間の方が外壁工事に取り掛かったというのを読んで、我が家も調べて見たらもう20年も経っていることが分かりました。その間、父や母の入院や父の葬儀などもあって、前回からこんなに時間が経ってしまっていました。隣りの塗装時期を母に聞いてみると5年ほど前に塗っているとのことでした。記憶力もハッキリしているので驚きました。今日の母の話し方や表情を見て、帰りの車の中で、すっかり元通りに元気になったねと二人で安心しました。

大ぶりの朱赤のツツジが今満開です。

白花のシランも咲き出しています。

ピンクのクレマチスは小花ですが数えきれないほど。椅子の上に立って写しました。

先に咲き出していた紫のクレマチスはこれが最後の花になりました…

母がお友達から苗をもらって大事にしていたヒルザキツキミソウも咲き出しました。。。