◎今日から息子たちが帰省してきます。我が家は東京・大阪・沖縄とコロナ感染多発都府県に別れて住んでいますので、この時期集まるのはどうかと思ったのですが、次男は昨年末の母の危篤で緊急帰阪は別として3年間帰省していないということですし、合わせて東京の長男もPCR検査陰性なので8~10日、次男は8~12日で、9日は京都へお墓参り。母の面会は施設側で全面中止なので、これは叶いませんが、次男の方は大阪の友人たちと会う予定も組んでの帰省。今まで2人分3食で良かったのですが、倍の4人分ということで、久しぶりの母親業、で、ブログ暫くお休みします。
🔲一水会代表に聞く:
「本来、旧統一教会と保守政治家との癒着を最も強く糾弾すべきは、土着宗教系の組織や日本の保守運動を標榜する勢力であったはずだ」。そうツイートした民族派団体「一水会」の代表に聞きました。
安倍晋三元首相(67)が街頭演説中に銃撃されて死亡した事件を受け、政治家と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関わりが次々と明らか
になっている。民族派団体「一水会」代表の木村三浩さん(65)は、「選挙に勝つための手助けになるとでも考えて
いたのではないか。保守政治家の足元を見られた一種の魔法だ」と厳しい目を向ける。
ている>
日本の信者/が高額な献金を半ば強要され家庭崩壊に至る人々が続出するなかで資金を国外に移転し/米国でのビジネスを試みるという姿勢は理解に苦しむ=4700億円以上をアメリカに送金済み
■徹底した「日本利用」というしたたかな戦略 安倍晋三元首相の暗殺事件をきっかけに、旧・統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の異様な実態に注目が集まって
いる。
ついて。
・00年代のバックラッシュ時の先頭にいた国会議員が安倍さんと、そして山谷えり子さんだった。山谷さんも、旧統一教会の友好団体の新聞「世界日報」に寄稿していたりなど、旧統一教会との関わりの深さが明らかになりつつある。あの時代、山谷さんは安倍さんに寄り添うように、そして安倍さんよりも数倍過激に大きな声で、ジェンダーフリーバッシングを唱えていたことを強烈に覚えているが、あの時代から、そして今もなのだが、「山谷さんってどういう人なの? というか、どうしちゃったの?」という疑問がずっと私にはある。
・今から50年前の日本、「これからは女の時代だよ!」と若い女たちが拳をあげていた。・
いったい、何年、この国は、女を同じ場所に押し込めておけば気がすむのだろう。
・
70年代のウーマンリブから地道に草の根的に活動してきた日本の女性運動が、90年代にようやく花開こうとしていた。選択的夫婦別姓もあと一歩というところまで議論がされ、男女共同参画社会基本法ができて、DVやセクハラに関する法律のために国が動き始めていた。そういう時代の後に来た00年代のジェンダーフリーバッシング、性教育バッシングは、この国のジェンダー平等にとってどれほどの痛手だっただろう。その背景に今、急速に明らかになっている旧統一教会と自民党議員の関係がどれほど影響していたのかは、厳しく検証していくべきだろう。
・
そもそも山谷さんは00年には民主党議員だったよね……そもそも89年に選挙に初出馬したときは民社党から出て自民党批判してたよね……というか、そもそも山谷えり子さんの「山谷」は旧姓で、ソレをずっと使ってるよね? 昔のアンアンが見せてくれた日本と今の日本が、一本の線ではつながらない不気味な遮断があるように私はずっと感じているのだが、山谷さんの人生にも、その遮断があるような気がしてならない。いったいいつから、山谷さんは、「自民党の極右=山谷えり子」になってしまったのか。
・私が20代でライターとして仕事を始めたとき、フジサンケイグループの隅っこのほうで仕事をもらっていた。頂点に立つ山谷さんは、働く女の先を歩いている人だと思っていた。結婚か家庭か、なんてことを女性に過酷に選択させていた時代である。働きながら子どもを育てる山谷さんの発信は、社会から求められていたようにも思う。 「勝ち気な私は、長い間自分が女であることを恨めしく思っていたふしがある。女として生まれたことを、何か大きな間違いをしたように感じていた。恥じ入り悔しがっていた。そのため通常の娘らしいスタンスで恋をすることもできなかった。自分が女であることをありのままに受け入れられるようになったのは、父の死後数年たってから。時に三児の母となり三十代後半となっていた」(『人生について、父から学んだ大切なこと。』) 1991年、政治家になる前の山谷さんが40代のときに出した本に書かれていたことだ。女の子の枷(かせ)を誰よりも苦しく感じ、理不尽な仕打ちにのたうちまわった心情が率直に綴られている。こういう一文を読むと、「山谷さん、私たち同じ女じゃないですか……」と肩を組みたくなってしまうものだけれど、この13年後に、山谷さんは自民党議員として国会議員になり、ジェンダーフリーバッシングの急先鋒になっていくのである。
・いったい、この13年の間に……何があったというのだろう。山谷さんが国会議員になったのは、山谷さんが50歳になる年である。山谷さんが「女であることを受け入れて」から10年以上たっていたはずだが、他の女の生き方の自由を奪うような政治的信念はどのように生まれたのか。本当にそれは政治的信念だったのか。いつか、国会議員でなくなったときに、昔のような率直で自由な筆致でエッセーを書いてほしいと願う。
・先日、韓国のフェミニストたちと話す機会があった。韓国は今、かつてないほどの規模のフェミニストやクィアに対するバックラッシュが起きている。先日、クィアイベントがソウルで行われたときには、同時にアンチの集会が開かれ1万5000人が訪れた。多くが若い男性だったという。前々回の大統領選挙では候補者がこぞって「私はフェミニスト」ということをアピールしていたが、今回の大統領選挙ではジェンダー平等を推進する女性家族省を潰すことを公約に掲げた候補者が当選した。
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なぜバックラッシュが激しく起きているのか、これからどうしたらいいのか。そんなことを韓国のフェミ友と話したが、彼女たちの答えはシンプルで、鋭かった。 「バックラッシュは、完全に政治主導で起きてます。保守の政治家たちが、デマをいとわず、フェミニズムや性教育を攻撃しています」 バックラッシュの理由としてよくいわれるのは、男女平等が行き過ぎて、むしろ男性に不利な社会になってしまったためにバックラッシュが起きる……ということだが、それは正しくはないという。むしろ、性平等を快く思わない集団が、政治的力を使って国民を分断させているというのが、バックラッシュの正しい姿ではないか、と韓国フェミニストたちは口をそろえた。だからこそ、なぜバックラッシュが起こるのか、バックラッシュを扇動する政治家は誰か、彼らの目的は何かを追及することが大切なのだ、と。