◎お盆と共に今年も8月15日の『敗戦(終戦)の日』がやってきました。77年前に負けて終わった戦争ですが、今年は一層リアルな戦争が身近に感じられる年になりました。私は敗戦の1年前に生まれていますが、生きているうちに二度と日本が戦争をするような国になってほしくはないと思って生きてきました。ロシアの立場に立たなくっても、ウクライナの立場になる可能性はあるかもしれません。その時、日本の指導者がウクライナと同じ決断をしたら…と考えます。孫世代に当たる若者たちが武器を取り最新兵器に立ち向かう、国土が焦土となり文化遺産が無残に破壊され消失する様子を想像してみると、もしウクライナの立場ならどうすべきなのか…考えておくことも大切だなと思います。
この朝日新聞の石川智也記者の想田和弘氏(映画監督)との対話の記事は、とても考えさせられました。ジーン・シャープという政治学者の非暴力抵抗運動の考え方も初めて知りました。随分前のことですが、9条が現状に合わないので国民に問うべきだという考えを学生時代の友人に話したことがあって、それはダメ、改憲勢力の思うつぼと反対されたことがありましたが、法治国家として左右勢力が自分の側に引き寄せて解釈してしまう現状は良くないと思っていましたので、想田氏の”新しい9条”の考えには同調できます。
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想田和弘 新作「精神0」・新刊「なぜ僕は瞑想するのか」「人薬」「下り坂のニッポンの幸福論」さんがリツイート
軍事や安全保障の議論が「日常」化する異様な状況下で、他国から侵略された際に私たちはどう向き合うべきか、という根源的な問いもあらためて持ち上がった。
これに対して、武力による徹底抗戦ではなく、占領を座視して受け入れるのでもなく、非暴力・不服従による抵抗こそが最も有効なのではないか、そう問題提起したのが、映画監督の想田和弘さんだ。
保守界隈ではこの機に乗じた憲法改正論議もかまびすしいが、想田さんはすでに2015年の安保法制成立時、「新しい9条を創るべきだ」と“改憲”の提言をしている。
一連の発言の真意はどこにあるのか。あらためて深く聞き込むために、対話的インタビューをお願いした。
戦争とは、平和とは、国を守るとは――。
🔲前編の内容見出しを並べてみます:
非暴力抵抗は「無抵抗」とはまったく違う
ウクライナに自己同一化した世論
ソーシャルメディアで拡散する一方からの視点
「非暴力は、より積極的な真の闘争」
アメリカの政治学者ジーン・シャープは、非暴力抵抗運動の歴史的実践例をつまびらかに研究しました。そして、権力が存立する体系を理論化するとともに、その権力を無力化するための、198もの具体的な手法を示しました。
非暴力抵抗は、犠牲ゼロでは済まない
暴力の連鎖を断ち切らねばならない
国の体制や原理を守る最善の手段は
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🔲後半の見出しと最後の件(くだり)をコピーしました:
自衛隊合憲論者は解釈改憲派だ
「戦争する」「殺す」自覚をあいまいにする9条
自衛隊を認知した上で統制すべきだ
立憲主義を守るために、国民投票で新9条を
(石川)――ご指摘の通り、日本は後方支援、兵站という形でアメリカの戦争に紛れもなく参加してきたので、平和主義を守ってきた、戦争をしてこなかった、という言い方自体が真実とは言えません。また、自衛隊と日米安保破棄を主張する自衛隊・安保違憲論者は、論理的には一貫していますが、心の中では実現不可能だと分かっていて、実際には自衛隊員や米軍基地を抱える沖縄に安全保障のコストを押しつけている。それでいて、自分たちは9条を守り良心を守っているかのように思い込んでいる。想田さんの考えとしては、少なくとも、そういう偽善というか無責任さを直視したうえで、丸腰を選ぶのか、新9条で自衛隊の位置づけと役割を明確にするのか、名実ともに軍隊にするのか、主権者として国民がきちんと決めるべきだということですね。
(想田)まさにそうです。いまの無責任な状態が一番よくないと思います。戦争を放棄した9条があるから、自分たちはなにかものすごく素晴らしい国にいる、みたいに完全に錯覚してね。
でも、誰がどう見ても戦力である自衛隊の存在を許して、自衛の措置と言いつつ実際には交戦を認めているんだったら、他の国とまったく変わらないじゃないですか。しかもいまは集団的自衛権まで行使できることになってしまったわけで。
改憲議論に参加しないと、自民党案が通ってしまう
武力による集団安全保障から離脱を
非暴力は「個」を圧殺する思想へのアンチテーゼ
暴力の連鎖を断ち切るために
(想田)シャープの理論と戦術は、人々の良心や善意のみに依拠した理想主義的な平和主義ではありません。むしろこの世の中が戦争と紛争と悪意と対立だらけであることを正面から認めた上で、暴力の連鎖を断ち切る第一歩を踏み出すための方法論なんだと思います。
この一歩を踏み出すための心理的な壁は、相当に高いとは思います。恐怖を払拭しないと乗り越えられない。でもそれをできた人が一定数に達すれば、霧が晴れるようにパッと視界が開けるはずです。
それでも、非暴力抵抗はただの理想論だと思いますか?
(石川) ――中江兆民の『三酔人経綸問答』には「力による平和」と「武器なき平和」のいずれもが間違いだという話が出てきますが、そういう意味では理想主義には聞こえます。ただ、少なくとも、現在の9条について「理想と現実との乖離は問題ない。現実に反しているからこその理想だ」と主張している人、あるいは自衛を認めながら「戦争は絶対にダメ」と言っている人に、想田さんの考えを理想論だと批判する資格はないですね。
(想田)繰り返しますけど、この考えがすぐに広がるとも、僕が生きているうちに非暴力・非武装の国家が増えていくことになるとも、まったく思っていません。でもこの小さな種は絶対に絶やしてはいけない。そう思います。特に、曲がりなりにも9条を持つことになった、私たち日本人こそが。
私たちには、パキスタンやアフガニスタンで活動し続けた中村哲医師という素晴らしいお手本もいるじゃないですか。暴力に対して暴力で応じるのではなく、井戸を堀り、用水路を拓き、平和の種や木を植えていく。
軍事力を増強するよりも、ずっと確実に平和を育て、守れる道だと信じています。