8月のお茶のお稽古

◎金曜日は午後からお茶のお稽古でした。金曜ごとに届くお任せ野菜のミニ南京が4個もたまってしまいました。小さいけどホクホクして煮てよし焼いてよしで重宝しています。これを一つづつ3つの小袋に入れて持参、先生とお二人に貰ってもらうことに。

玄関を入ると荷造りされた道具類が片隅に置いてありました。9月4日のお茶会に使用される道具類です。お部屋に入ると、床の間にいつもの花かごがありません。先生に訊くと暑さが尋常ではなくて庭の花が尽きてしまったとか。10年以上お稽古に来ていて初めてのこと。大きな床の間の横のスペースにも箱に入った道具類が置いてありました。

掛け軸は大徳寺さんの色紙で、『夏日来涼風』と書いてあります。先生が「涼しい風、来ないけどね」と言われました。午後になって少し蒸し暑くなっていました。

お二人が見えたので、お任せ野菜の説明をしてミニ南京をお渡ししました。Naさんは寝違えて首と肩が思うように動かないのでお点前はやめてお客さんのみということで、私とNoさんが、立礼式で2回お茶を点てることになりました。扇形テーブルの上に置いてあるガラスの水差しが涼しげです。

立礼式はNoさんが専門。お先にと言ったのですが、去年から手術の伴う入院が二回、今年に入って白内障の手術と、しばらく体調が優れず、お点前再開2か月目なので、先にと言われ、私が最初に。久しぶりの立礼式なので、準備や入室の段取りを教えてもらいながら始めることに。

水屋に入ると、夏用の平茶碗もいくつか出されていました。羊羹とセロファン紙で包まれた大きなかりんとう(黒糖でコーティング)が用意されていました。

茶入れの棗(なつめ)が変わっていて、寸切り(ずんぎり)と呼ばれるもので扱いも蓋を覆うような持ち方はしないで、横から持ちます。山中漆器で木目がとても美しく、銀彩の模様が入っていて、蓋は扁平で「千筋」と呼ばれる細いろくろの線が入っています。

途中でNoさんの携帯に電話。丁度、Mr.Noの99歳のお母さんの話になって、病院の特別室、看取り室に入ったと連絡があって、慌てて二人で福井県の病院を訪ねたら、大阪から来たというので面会を許されなかったというお話でした。大阪は危険地域になっているのだとか。それで、4日のお茶会まで持ってくれるといいのだけど、もしものときは抜けることになるので、と言う話を聞いていたので、病院からの電話に聞き耳を立てることに。姪御さんが病室から電話された様子。Noさんが「元気?」「聞こえる?」「見える?」とスマホで話しておられるので、ご容態は安心のようです。

飾りつけの蓋置と柄杓。蓋置は「七宝透かし」の白磁。着物のお二人の段取りと、私は当日の午前8時45分には学習センターの3階茶室の前にと先生に言われて、お開きでした。

◎5時前に帰宅して着替えて少しするとチャイムが鳴って向かいのFさん。出てみると、西隣のMさんから、角のKさんが19日に亡くなられたというお話です。そういえば一週間ほど前、車が一台Kさんの家に止まっていて、東京のお孫さんがお盆休みで来られているのかなと思っていましたが、どうもその頃のことです。二人でどうしたものか相談をしていると、芝生の庭を息子さんのK氏が横切って行かれるのを見ました。家におられるみたいよ、ご挨拶に行こうということに。

我が家と同じく、同一敷地内に二軒の家が建っていて、東側が100歳を超えたKさんが住んでいて、西には80代前半の一人息子のK氏がもう何年も車で東京から通うような形で住んでおられます。角を廻って西側の玄関のチャイムを鳴らしました。勝手口からKさんが顔を出されて、二人の顔を見るなり、直ぐ出てきてくださって、「先ほど聞いた所で・・・こんな格好でなんですが…」と二人でお悔やみを。

K氏の話では、19日、僕が常々最高の終わり方だと思っていた通りの亡くなり方だったと言われました。13日に103歳の誕生日をお盆の里帰り兼ねて戻っていた二人の孫にも祝ってもらい、亡くなる2日前には「ありがとう」と言って、床について軽い食事をして眠るように亡くなったということでした。

私たちが61年前に豊中市の岡町から越してきた時から、大きな二階建てに住むKさんと私学に通う頭の良い一人息子さんは評判でした。三人の娘が小学校に通い出すと母はKさんのお宅でジョーゼットで顔や手足を綿でくるむお人形作りを教えてもらっていました。ソプラノの良く通る大きな声のKさん、90代になったばかりの頃は我が家の前で「この歳になって乳ガンで手術やって、ホンマやろかー、なんでやろー」と言われ、私も笑ってしまったことも。高齢になっても自分の家で過ごし、隣に息子が定期的に東京からやってきて見守り、週何回かのデイサービスを利用し、そして最後も家で看取ってというお手本のような生き方、死に方です。K氏もとても満足そうでした。私も「ずっと付かず離れずで見守っておられましたし、天寿を全うされたのですね・・・」と。「こんな時だから身内で済ませましたし」と言われ、三人とも『良かった』という言葉こそのみ込んでいましが、心穏やかというか・・・二人で訪ねてよかった、お悔やみが言えてよかったという思いで帰ってきました。

100歳近くまで長生きすると死を悲しまなくて済むのがイイと思いました。父も102歳まで生ききりました。もう頑張らなくてもいいよと本人も周りも納得ずくで死を迎えることが出来ます。健康で長生きの一番の良い点はそこにあるとつくづく思いました。