「流星ひとつ」(沢木耕太郎)と「死ぬのがいいわ」(藤井風)

◎クリスマスを過ぎたころ、沢木耕太郎著「流星ひとつ」を読みました。12月に入るとすぐ、来年公開される映画の撮影がクランクインしたという瀬々敬久監督の「春に散る」の原作が沢木耕太郎の同名小説でした。たまたま夫も朝日新聞に連載されている沢木耕太郎作品が切っ掛けで「深夜特急」を読みだしていました。その流れでというワケでもなかったのですが・・・、瀬々監督がキャスティングに影響したかもしれない作品として「流星ひとつ」を挙げていましたので、タイトルが何を表しているのか知りたくて読むことに。

◎驚いたことに、これは、28歳の藤圭子さん、あの「夢は夜ひらく」を歌った歌手で、最近では宇多田ヒカルさんの母親で、何年か前マンションから飛び降りて自殺した、あの藤圭子さんの本でした。それも、31歳の沢木氏のインタビューに藤圭子さんが答えるという会話のみで綴られた本。1979年、年末の引退を控えた藤圭子さんと8杯のウォッカを飲みながら、なぜ引退するのかを迫る沢木さんの質問に藤圭子さんが赤裸々にデビューからの10年を語るという内容。

ところが、完成した本は、藤圭子さんのOKが出ているにもかかわらず、沢木氏は発表しないことに。それから30数年後の2013年、62歳の藤圭子さんが高層マンションから飛び降り自殺をして亡くなった2か月後。封印を解かれたインタビューが「流星ひとつ」というタイトルをつけて出版されました。

過酷な家庭環境の中を生き抜いて歌に賭ける藤圭子さん、喉のポリープの摘出手術をして声帯が変わったことで元の声を失った藤圭子を自ら葬るための引退。本人にしか分からない変化だとしても許せないというプロ意識の凄まじさ。運命を引き受けて決して他人の所為にしない純粋で潔癖で健気で強靭で、それゆえに儚くて脆い…きらりと硬質な光を放つ流星ひとつ・・・

ふたりの快調な会話に、あっという間に読み進んでしまいますが、藤圭子さんのその後、34年後の自死を知っていますので胸が痛みます。沢木耕太郎氏の「後記」では、なぜ完成した「インタヴュー」を発表しなかったか。そしてまた、30数年後の自死の後、なぜ発表する気になったのか、が書かれています。余りに率直な内容がその後の生活に悪い影響を及ぼしてはいけないと思われたためと、自殺以後「精神を病み永年奇矯な行動を繰り返したあげくの死」というイメージだけで語られる藤圭子さんだが、実はそうではなかったという事が娘の宇多田ヒカルさんにも伝わればという思いで出版を決意したと。

◎この本を読み終えた直後の12月28日、「NHK MUSIC SPECIAL」の「藤井 風 いざ、世界へ」という番組をたまたま途中からでしたが見ることに。不思議な歌を歌う青年に目と耳がくぎ付けに。岡山弁のイントネーションそのままの音楽?とでもいうのか…その音楽に世界が夢中になっている様子が紹介されていました。藤井風さんご自身も発表の際には、日本語の歌詞と同時に必ず英訳歌詞も発表しているのだそうで、日本だけが相手ではなく、発表の場は最初から世界だという。もうそういう歌手が生まれている時代なんですね。

31日の紅白歌合戦の舞台で歌った「死ぬのがいいわ(I'd rather die.)」が世界でも大ヒットとか。私も感じたのですが、どこかの国の女性が「読経」のようという感想を言っていました。木魚の伴奏で唱えられるお経のような歌・・・。ところで、ご本人がこんな解説を。

 この“あなた”とは「自分の中にいる愛しい人。自分の中にいる最強の人」のことで、心の中にいる理想の自分のことを指しているのだそう。「それを忘れてしまっては死んだも同然みたいな。(自分との対話みたいに)なってると思うんですけど」と楽曲の捉え方を説明した。

続けて藤井は「誰もそんな解釈をほとんどしてないと思うんで。それがまた興味深いところでもありますよね」

藤井 風「死ぬのがいいわ」歌詞の真意を解説 「今までと全然違って聞こえる」と驚きの声殺到 - モデルプレス (mdpr.jp)

私は、これを聞いて、直前に読んでいた「流星ひとつ」の藤圭子さんを思い出しました。これって藤圭子さんと同じ!藤圭子さんのことじゃない!

藤圭子さんは、もって生まれたハスキーな声を失った自分はもう『藤圭子』の歌は歌えないと自分で歌手の藤圭子を葬り去る決意をします。まさに『死ぬのがいいわ』です。

沢木氏はインタビューの中で藤圭子さんの潔さを「あなたは男だ」と言って褒める箇所が何回かあります。今なら一寸問題になりそうな表現ですが、私は藤圭子さんはハンサムウーマンだと思いました。幼少期の父親からの凄まじいDVや目の見えない母との暮らしや前川清さんとの結婚、離婚、その後のことなど、本当に包み隠さず沢木氏のインタビューに答えていますが、お二人の間での信頼関係の深さとお互いの人間性への敬意もうかがえ、かつ、ウォッカの酩酊もあってか、濃密な半生、それも演歌歌手の頂点を極めた女性の理知的で客観的な自分語りに圧倒されました。