◎昨日、「ライフ」への買い物途中、ご近所のハクモクレンが力強く咲いていました。
桜並木の桜の古木はまだ蕾ですが、若木の花が開花しています。
🔲朝日新聞3月18日(土)の夕刊「惜別」頁に掲載されたのは3人。12月25日に92歳で亡くなられた思想史家の渡辺京二さんと、12月15日に亡くなられた俳優・タレントのあき竹城さん、そしてスーパーマーケット「ライフ」の創業者、清水信次さんの3人でした。
渡辺京二さんは、その著書「逝きし世の面影」(渡辺京二著「逝きし世の面影」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com))と共に忘れられない方ですが、「shuueiのメモ」さんが取り上げておられますのでこちらで:渡辺京二さん 思想史家 (惜別) - shuueiのメモ (hatenablog.com)
◆スーパーマーケット「ライフ」は近くのお馴染みのスーパーです。二階には衣料品や靴・帽子、生活雑貨から寝具、医薬品、書籍コーナーもあります。ちょっとした百貨店、ライフへ行けば食べることから身の回りまで間に合うと重宝しています。その一号店が1961年、豊中市だったというのは初めて知りました。写真は近くの「ライフ」↓
スーパー「ライフ」の創業者 清水信次(しみず のぶつぐ)さん
「商売 直言 『生き残り』の責務」
車の運転が好きで、晩年までハンドルを握り続けた。
「人生途中下車が多いが私は最後まで下りない」。肝胆相照らす仲だった故・中曽根康弘元首相から贈られた直筆の言葉に自らの歩みを重ねていた。一代で売上高7600億円のスーパーマーケットを育てた。
津市生まれ。復員後、焼け跡闇市から身を起こし、朝鮮戦争や日本の国際舞台復帰に伴う経済成長の流れに乗った。パイン缶詰やバナナなどの輸入販売を経て、1961年、大阪府豊中市にライフ1号店を開いた。
小売業界の重鎮として売上税(消費税)反対の旗を振るなど国に盾突く論客のイメージが先立つ。しかし、「根は気遣いの人情に篤い商売人」と岩崎高治社長は言う。店頭のパート従業員と気さくに話し、おなかがすくとカップ麺をすすった。
「己を知り、足るを知る。器量に見合って生きることが大切だね」と説いていた。だからこそ、自らの限界を悟り、受け入れられた。「もう任せた。煮るなり焼くなり好きにせえ」。79歳で経営のハンドルを手放し、商社出身で40歳年下の岩崎氏に社長を託した。
亡くなる5か月前まで取締役として見守ったが、経営には一切口を挟まなかった。あとを濁さぬ人生の降り際だった。
地雷を抱えて米軍の戦車に特攻する訓練中に終戦を迎えた。国家への直言をいとわない硬骨の土台には、無辜(むこ)の民を見捨てた政治、軍部への不信があったのだろう。行動の源はいつも「戦争」だった。
執務室には軍服を飾っていたという。戦火に散った友を思い、「生き残り」の務めとして庶民に豊かな生活をもたらそうと96年の生涯を捧げた。
「戦争は絶対にしてはいけない」が口癖だった。”新しい戦前”というきな臭い言葉が忍び寄る今こそ、舌鋒鋭い話を聞かせて欲しかった。 (金子智彦)
1月の「お別れ会」では「千万人といえども吾(われ)往(ゆ)かん」の言葉が掲げられた
🔲サンデーモーニングが大江健三郎さんの言葉を取り上げていました。動画のコピーが出来ないのが残念:
🔲「緊急事態条項」は、戦時中の「国家総動員法」なんだ!:
🔲少子化が問題となっている日本で、子どもたちの自殺が増えているとか。なんてもったいない: