ジャーナリスト・ドキュメンタリー監督・斉加尚代。理不尽な誹謗やバッシングがおこるたび、斉加尚代は丁寧な調査報道でその答えをきっちりと示してきた。数々の賞を受賞した映画「教育と愛国」では、教育現場や真理を追究すべき学問が政治に侵食されていく危機を描く。これは「いま」の話である。メディアの役割として「分断された世界をつなぎ直す」ために、斉加は作品を通じて警鐘を鳴らす。
1948年の創刊以来、『現代用語の基礎知識 』は辞典・事典であると同時に時代の流れを映す年鑑でもある。現在の編集長、大塚陽子は2023年版の巻頭の「2022年のキーパーソン10人」にゼレンスキー大統領、イーロン・マスク などとともに斉加尚代(さいかひさよ・58)を選んだ理由 をこう語った。
「ただ話題になっている人物というだけではなく、22年がどういう時代で、何を行った人物か という観点からの選定でした」
斉加は時代を映し、その上でジャーナリストとして、映画監督として、確として社会に伝えるべきものを持っている人物 として選定された。
斉加が監督した映画「教育と愛国」は、現在の日本の教育現場が政治によって蹂躙(じゅうりん)されていく過程が、丁寧に掘り起こされた事実と証言で描かれている 。かつて家永三郎 (元東京教育大学 教授)は「教科書検定 は国家による検閲である」と裁判を起こした が、今では、検定を通過した教科書も閣議決定 によって変更されるという時代に突入している 。教科書執筆者は検定過程において、具体的な根拠資料を求められるが、政府の見解は学術的な裏付けが無くとも逆に書くことを強いられるという。
大塚は言葉の世界に生き、語彙(ごい)の意味も本質も徹底的に調べあげて一冊にする編集者として、教育と学問が政治の侵食ですでに危険水域にあることに警鐘を鳴らした斉加の作品を見て、2022年に記録すべき者として「10人」に推した。
「将来、日本の歴史の中で分水嶺 (ぶんすいれい)だったと言われるかもしれない22年に楔(くさび)を打ってくれたキーパーソンです」
封切り以来、「教育と愛国」は全国62館で公開され、アンコール上映にはすでにのべ100近くの劇場が手を挙げている。日本映画ペンクラブ文化映画ベスト1、JCJ 大賞等多数の映画賞を受賞し、英語版を見た海外の配給会社や大学からもオファーが届いている。
■偏差値だけで評価しない公立学校に感銘を受けた
斉加がかねてより希望の報道記者になったのはMBS (毎日放送 )入社3年目の1989年。「通った私立の一貫校が肌に合わず、もともとは学校嫌いだった」が、やがて90年代前半には大阪の学校現場の取材にのめり込んでいく。家庭環境を含むさまざまな理由から教室に入れない子どもたちを保健室に受け入れるなど、偏差値だけで評価をされない場所を提供する公立学校の在り方に感銘を受け、ときにやんちゃな生徒と激しくぶつかり合いながら、成長に導いて卒業へと送り出す教師たちの姿に感じ入る。
そんな活発だった大阪の学校が、大阪府知事 (当時)の橋下徹 と、大阪維新の会 の登場で大きな転換を迎える。 維新の会は、教職員の思想・良心の自由を侵す違憲 の疑いが強いと大阪弁護士会 会長が声明を出した「君が代 の起立斉唱を義務づける条例」などの条例を次々と作って教師や学校の管理 を強めていく。
「教員たちが子どもたちについて活発に議論していた職員室が静まり返り、ただ校長を介して教育委員会 の通達を受け取る無機質な空間になっていきました」(斉加)
2012年5月8日。この日、斉加は大阪市長 (当時)の橋下との囲み取材に臨んでいた。 橋下の友人で民間校長として採用されていた人物が卒業式で教師が君が代 を歌っているか、口元をチェックしていた。この振る舞いを「素晴らしいマネージメント」と発言した橋下に、斉加は真意を質(ただ)した。 ところが、橋下は逆質問をし続け、不勉強、とんちんかん、という罵倒を斉加に浴びせ続けた。
動画を文字起こしで検証すれば明確になるが、その論法にはいくつかのすり替えと詭弁(きべん)があった。一例をあげれば、起立斉唱命令を出したのは「教育委員会 だ」としているが、実際にルール化を命じたのは橋下市長であると教育長から確認されている 。しかし、ネット上に記者の名前が投稿でさらされた途端、いっせいに斉加に対するバッシングが始まった 。事実を誤認したままの誹謗(ひぼう)やトーンポリシング (口調の取り締まり)であふれ、社の代表電話から斉加に「日本から出て行け」と怒鳴る者まで現れた。ショックであったのは、この件は同業者たちもまた本質を捉えずに非は記者側にあるとした ことだった。面罵事件の少し後、MBS で報道局員を集めてのニュースセンター会が開かれた。局員から、「質問が長すぎた」「首長を怒らせたのは良くない」と意見が表出し、センター長(当時)の澤田隆三によれば、「あまりに否定的な意見が多くて驚きました」。
■内心まで管理を迫られる教師の悲鳴を聞いている
当時のMBS 報道局長であった泉俊行は、現場に判断をゆだねていたが、今、あらためてこの囲み取材の映像を見てこう語った。
「記者ならば、突っ込まなければいけない市長の詭弁と暴言 がいくつかあった。例えば『首長と記者は対等だから、まずこちらの質問に答えないと話さない』という発言。人間は対等ですが、首長と記者は非対称の関係で記者の役割は権力のチェックなのでこれは違います ね」
斉加は最後の質問でこう聞いている。「卒業式で教師が君が代 を歌わなくてはならないという理由を子どもたちに分かるように教えていただけますか」。橋下の答えは「彼らは公務員なんだから、国家のために仕事をしているのだから、国歌を歌うのは当然じゃないですか」 。国家のためにというのは明らかな間違い である。「公務員は国民に対し、公務の民主的且(か)つ能率的な運営を保障することを目的とする」(国家公務員法 第1条)。 「公務員の雇用主は国民」である 。
なぜ、あの場所にいた記者たちは、これらの市長の発言を「今のはどういうことですか?」と質さずに看過してしまったのか。泉は続ける。
「橋下さんは、すでに各局のバラエティー に出ていたし、注目されている人気の政治家でしたから。あれはテレビ的にも派手でキャッチーな映像で、好奇心であおる人がいたかもしれない。今、見返すと斉加は質問する上で敬語を使いひとつとして事実を曲げていないし質問はブレてもいない」
制作局はすでに視聴率の取れる政治家をタレント扱い していた 。納得できる答えが受け取れないときは、さらに問いを続けるのは、記者の責務である。ましてや内心まで管理を迫られる教師たちの悲鳴を斉加は直接聞いている。しかし、市長を怒らせた態度が良くなかった、という流れで会議は結論付けられて散会した。
「政治が学校に介入することを質したのに好き嫌いで質問をしたと言われて、でも反論しなかったです。結果として納得できる答えを聞けなかったのは自分のスキル不足だと内省しました」(斉加)
■沖縄の記者に励まされ秀作を量産していく
この頃、MBS を退職して関西大学 の教授になっていた報道局OBの里見繁は斉加から電話をもらっている。
「大学に会いに来て、会見のことを話すので、あれはよく市長に当てたな、会社に戻ったら、報道のフロアは拍手喝采 (かっさい)だったろう、と言ったら、その逆だったようで、僕も驚きました」
あの当時の斉加は報道局でも白い目で見られていたと思う、と里見は言った。本人は「悔しいという感情ではなかったです。それよりも自分が信じていたテレビ報道が知らない間に変質してしまった のだという感慨の方が大きかった」。
組織の空気が変わりつつあるのを感じていたが、斉加は以降、反論も愚痴も一切出さず、粛々と大阪の教育現場の取材を続けていった。この間もずっとネット上では、反日 記者、不勉強でとんちんかんなMBS の女性記者という一方的な言説が流通していた。15年に月イチのドキュメンタリー番組「映像」シリーズのレギュラーディレクターに就くと、最初の作品「なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち~」の撮影のために那覇 に飛んだ。沖縄の2紙は左翼に偏向しているという中傷が絶えずぶつけられていた。斉加はメディアにとっての中立とは何かを探るために密着取材を試み 、そこで沖縄タイムス 編集局長(当時)の武富和彦からこんな言葉をもらう。
「一方に絶対的な権力を持っている権力者がいるわけですよ。一方には基本的人権 すら守られていない人びとがいる。力の不均衡がある以上は弱いものの声を代弁することこそメディアのあるべき姿 だというふうに思っています 」
沖縄では、大阪とまったく逆の現象が起こった。名刺を差し出した琉球新報 の報道本部長が「ああ、あの斉加さん!」と感極まった声をあげたのだ。橋下への取材を失礼と捉えるどころか、リスペクトの目で見られていた 。自らの手でわが子を手にかけることさえ強いられた沖縄戦 を生き抜いた高齢者たちから取材を学んだという 沖縄の新聞記者たちには、中央の記者が手放しかけていたジャーナリズムのマインドが満ち溢(あふ)れていた 。沖縄に励まされるように、斉加は秀作を量産していく。
「沖縄 さまよう木霊」では、MXテレビ の番組「ニュース女子 」にまであふれ出た沖縄基地反対運動に対するデマの出どころを突き止める 。取材中から、デマの発信者にネット上で攻撃にさらされるが、毅然と同業他社を正面から批判した。あとを追うようにBPO (放送倫理・番組向上機構 )がMXの同番組に「重大な放送倫理違反があった」と認定した。調査報道の面目躍如だった。
そして17年7月にテレビ版の「教育と愛国」を作り上げる 。5年後の映画化の大ヒットも含め、橋下からの面罵への回答を作品できっちりと示したかたちになった 。里見に「あの囲み取材のときに記者たちがいっせいに市長に質問を投げかけていたら、こういう映画を作らずに済んだのではないですか」と尋ねると、「そうかもしれませんね。斉加は常に作品を通じて机を叩(たた)いて訴えているんですよ。私たちはテレビ局の中で守られているけど、こんなに危ない社会の状況下でぼっとしていていいのか と」。
年をまたいだ18年、斉加は自らの身をさらすかたちで「バッシング~その発信源の背後に何が~」 を制作する。何の瑕疵(かし)も無くただ朝鮮学校 への補助金 交付などを求めた弁護士たちに対して13万件もの懲戒請求 がなされるという異常な事態が起きるが、そのきっかけが、ヘイトブログのデマであったことをあぶり出した。
(文中敬称略)
(文・木村元彦 )
※記事の続きはAERA 2023年3月27日号でご覧いただけます