Yさん宅の垣根の八重のムクゲ
◎水曜日はヨーガの日。私がヨーガを始めたのは1985年の12月から。なぜ覚えているかと言うと、この年、ショパンコンクールがあって、19歳のスタニスラフ・ブーニンが優勝。そのドキュメンタリ―をNHKが「衝撃のショパンコンクール」というタイトルで放送。それが12月でした。ブーニンさんを知ったのとヨーガを始めたのが同じ年の同じ月でした。なぜヨーガを始めたか.といえば、母が長年のお友達と一緒に市のヨガ教室に通うようになったことが切っ掛けでした。60歳になった母は、このまま何もしないで人生を終わりたくないと、俳句教室とヨガ教室に通うことにしました。私と母のお友達の娘さんのMさんと二人、母たちとは別のヨガ教室を探してたどり着いたのが、私たちより4つ年下のOさんの教室。そこへ顔を出したら、中学校卒業以来の同窓生Uさんとも会えました。
それ以来のお友達でもあるヨーガのO先生とUさんと二人、ヨーガが終わって、お仲間さんと昼食をどこかで摂った後、母にお線香をあげたいのでとお参りの予約がありました。
未だ夫たちが現役で働いている頃、専業主婦だった私たちは、先生とUさんの車でヨーガの後、ランチにアチコチのお店へ出かけていました。それに、ヨーガ仲間が連れ立って我が家やUさんの自宅へ出かけ、お喋りしながらお茶の時間を過ごしたりしていました。そんなわけで、我が家はよくヨーガ仲間が集まった場所でもあったのです。
そんな時、隣の家から通路伝いに母は果物を差し入れながら顔をのぞかせてくれました。母には、娘のお仲間にご挨拶は、ごく自然なことだったのかも。時には一緒にコーヒーを飲んだりしたことも。母は90代の半ばごろまでヨガをしていましたし、ヨガの効能についてはよく話していて誰かれなくヨガを宣伝もしていましたので、O先生はとても心強い支援者の一人だと思って、別の教室でも母の話をされたりしていました。そんなこともあって、お二人は亡き母にお線香を.とわざわざ立ち寄って下さったのでした。
コロナ禍以前から父が在宅で介護を受けていた時期もあり、誰もお呼びしていなかったので、本当に久しぶりです。その間、側溝の工事や車庫や外回りを新しくし直しているので、見違えたと二人。この日は実家の門を開けて隣の玄関から入っていただきました。母の入所3年間の写真をホームのスタッフさんから頂いていたのをファイルにしていたのでそれを見て頂きました。
あとは、久しぶりにあれやこれやの話題で3時過ぎまで。政治が情けないことになっているということから。娘さんが中国人と結婚されて上海に住んでおられた頃よく行き来されていた先生は、当時から中国の勢いはすさまじく、学生はよく勉強していた。それなのに日本は中国をさげすんだり見下したりしていた。人口減で人手不足の今の日本、これだけの低賃金では海外からの良質な労働力もあてにはできない。いよいよ日本はアジアの三流国ね~ということに。それでも、三流国なりの自覚があればいいですが、意識はまだまだ明治のままの『アジアの一等国』と思っている人が多いのでは。特に自民党辺りの政治家さんたちに。
若い子たちが可哀そうな時代になっているので、高齢者が出来ることで役に立ちたいという話になりましたが、それより、若い子の足手まとい、迷惑にならないのが一番、結局、健康一番という話になったり。骨壺の中の母も笑って聞いていたと思います。
↓ これは一重の椿の実です。特に今年は実が多く、また大きいようです。
🔲暮らし向きが厳しくなっているのが分かります:
🔲安倍元首相の時から崩れた『公文書の重み』、政治のルールの破壊です:
🔲本当にタモリさんが言う『新しい戦前』です:
🔲何が何でも・・・
🔲無責任な打ち上げ花火の火の粉を被るのは府民や国民: