◎今年の沖縄慰霊の日(6月23日)の沖縄全戦没者追悼式での玉城知事の平和宣言は沖縄の言葉ウチナーグチと英語でも行われました。その事についての批判を取り上げた沖縄タイムスの記事ですが、もう一つ、立憲民主党の米山隆一氏が妻である室井佑月氏が投稿した沖縄の遺骨収集に「大きな予算を割くのは反対」に賛意を示したことについて、沖縄近現代史家の伊佐眞一氏の話を引用して反論しています:
◆10年ほど前、次男が沖縄へ転勤してすぐ、夫と二人で沖縄へ出かけました。その時、那覇の博物館を訪ねて驚いたことがありました。沖縄には日本本土(ヤマト)とは全く別の琉球時代の琉球文化があったことを本土の私は全く知らなかったということでした。北海道のアイヌと同じように、沖縄の琉球を日本は文字通り征服したということになっていたのではと思いました。沖縄へ「首里城・守礼門をくぐって」と「琉球とナポレオンそして居酒屋」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
◇記事の締めくくりが「沖縄とヤマトの間の『絶望的なギャップ』」で終わっていますが、大阪府知事が『土人』発言したことなど考えると、強者と弱者、ヤマトと沖縄には大きな溝がまだあるのだと思わざるを得ません:(引用文のアンダーラインby蛙)
沖縄近現代史家の伊佐眞一氏の話
琉球併合以来の歴史を考えれば、2氏の発言はヤマトの中で飛び抜けておかしいわけではない。自民党も立憲民主党も、こと沖縄に対する根本姿勢は大差ない。
宮崎政久氏の発言は、沖縄の文化や思想の根底にある琉球語をおとしめている。公人による発言なのだから、玉城デニー知事は沖縄代表として堂々と反論すべきだ。沖縄の地で最も厳粛な慰霊の日の式典だからこそ、琉球語がふさわしい。
米山隆一氏は戦没者の遺骨収集を遠い沖縄の、非生産的な話だと考えているようだ。しかし沖縄の私たちにとっては死に場所さえ分からない親族を悼み、歴史に学び、変わらず基地を背負わされる現状を問い直す現実的な意味がある。ヤマトの側から予算が多い少ないという話になること自体、たがが外れている。
強者と弱者という関係の中で、ヤマトと沖縄が自由に対等に話せるということはあり得ない。2氏はヤマト出身の国会議員として、少なくとも沖縄の民意を踏みにじっている現状に責任を負う。その立場を念頭に置いて発言すべきだ。
2氏に限らず、沖縄差別とも密接にかかわる琉球語や沖縄戦という問題の本質を語り合う共通の素地がヤマトとの間にない。絶望的なほどのギャップを感じる。
🔲「音楽に政治を持ち込むな」、日本の音楽家に投げかけられる言葉に対してギタリストのSUGIZOさんの記事です:
◆一部、引用です:60年~70年代を若かりし頃体験した私たち世代からすると、SUGIZOさんの感覚の方が普通です:
だが、政治や社会をテーマにした曲を出すと、摩擦は想像以上に大きかった。
「政治的なことを表現するんだったら、もう私は君を扱わないよ」。ある音楽雑誌の編集長から、そんな言葉を投げかけられたという。ほかにも「野垂れ死ね」などと脅迫ともとれるメッセージが届いたこともある。
音楽関係者、リスナーから寄せられるそうした声は、想像していたよりも大きかった。
「『音楽が、ロックが、政治的、社会的な意思を表現するのはタブーでしょ』みたいに言う人は少なくなかった。僕からすると『えー?』と驚くわけですよ。じゃあ、『ジョン・レノンは? ボブ・ディランは? マーヴィン・ゲイは? 彼らはタブーなの?』と思うわけで」
ロックが生まれた1960~70年代にはベトナム戦争や公民権運動が大きな政治的テーマとなっていた。これに対し、多くのロックミュージシャンが反戦や黒人との連帯を訴え、若年層を中心に起きた革新や平和を訴えるムーブメントの広がりに大きな役割を果たした。
SUGIZOが挙げた3人は、そうした動きを牽引(けんいん)した代表格とも言えるミュージシャンだ。
最近でも、米国では大統領選やブラック・ライブズ・マターで、若い世代も含めた多くのミュージシャンが発言やパフォーマンス、楽曲で自らの立場を表明している。
「その時代、その時代で表現すべき社会的な意識があるほうが自然だ。社会のうねりや意思をくみとる役割も持ちながら、ロックや、あらゆる芸術は存在している」と話す。
🔲統一教会のビデオメッセージ、首相クラスの出演料は1憶3000万円。みんな『日本の信者から巻き上げたお金』:
🔲いよいよ国連人権理事会の作業部会が実情調査にに乗り出すとか: