秋のドライブ(6)福島から東京へ、そして大阪。

福島県から東京都へ。栃木県と茨城県と埼玉県を走り抜けることになりますが、初めてです。初めてと言えば、岩手県も初めてでしたし、常磐自動車道東北自動車道を走ったのも初めて。相馬とか白河とかの地名と位置が一致してきました。

「郡山」や「磐城」も福島県なんですね。磐越道を走っています。

いよいよ「東京」の表示が見えてきました。

「(高校野球の)大会旗が白河の関を越えました」の白河ですね。

奈良時代から平安時代にかけて、から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として歴史上名高く、「みちのく(奥州。現代の東北地方)の玄関口」とされてきた

当地は下野国(現:栃木県)と陸奥国(現:福島県など)との国境付近であり、現代でも関東地方と東北地方との境界となっている

高速道路は空が広いので雲の塊が丸ごと目に入ります。

この向かい合ってるような二つの雲がず~と見えました。

いよいよ栃木県に入って、看板に東京の文字も見えてきました。

4時を過ぎると雲が西日を受けてバラ色に染まり始め・・・

その内、黄金色に輝き始めます。

◎長男とは日曜の昼食を共にということでしたので、土曜の夜は千葉県の土浦辺りまで下って…と計画していました。ところが、日が暮れて、夫が、あれ、東京へ向かってる!? 大変だナビが息子のところになってる!というので、あわてて、スマホで連絡。息子からは、「無理、無理!」という返事。無理でも、こっちも、引き返すのはもう無理、ということで押し掛けることに。

これは、引いたおみくじの「大吉」のお陰かな・・・。5月以来ですので、4ヵ月ぶりの息子。体重も数キロ増えて顔もふっくらしていました。電気釜が洗って伏せてあったので、ご飯は炊いているようです。お茶のみ仲間のSさんから預かった丹波篠山のお米も渡しました。食事は済んでるというので、私たちは野外でやるべきだったメニューをガスコンロを使って夫が支度することに。

荷物を降ろして夫が近くのパーキングを探している間、嫌がられるのは分かっていても、ついつい気になるところを片付けたり掃除したり、仕事のことや暮らしのことで気になっていることを訊いたり、その内夫も戻ってきて三人で話すことに。この旅の目的の第一が長男の健康チェックでしたので、良かったです。安心。

翌日(日曜)は大阪へ帰る日。テレビのサンデーモーニングの途中で出る。10時、ガソリンを入れて、東名へ。「茅ヶ崎」の表示が出ていましたが、茅ケ崎の末の妹が亡くなって今年は3回忌。母も6月に亡くなったので、私と真ん中の妹と二人きりになりました。その妹宅が高速の秦野インターの近くだと聞いていたので寄ろうということになり、電話を掛けると「待ってます!」ということでした。高速を降りてお昼前、妹宅へ。松島のお土産に買った「白松がモナカ」を甘党の彼が喜んでくれました。姪も一緒に5人で近くのお寿司屋さんに行って、昼食をご馳走になってしまいました。2時ごろ東名に。写真は駿河湾

掛川SAで小休止。ここは初めてです。お目当ての浜松の「うなぎパイ」や今夜のおかず「浜松餃子」もゲット。とってもおいしい「わさび漬け」もありました。

遠州森町あたりのトンネルの向こうに夕焼け。

四日市を過ぎてかな、長島ですね。

鈴鹿です。

大阪へ向かう長い下り坂。義母はこの灯りを初めて見たとき「夢みたい。美しい」と。

今年2月、退院する長男を迎えに行って翌日退院した長男と3人で大阪へ。その後、東京へ帰る長男を送った3月。そして今回と、車で「大阪ー東京―大阪」は3度目です。あの頃、秋には息子の健康が回復して再就職できているという予想は不可能でした。本当に、有難いことだと思います。お正月には沖縄の次男も帰省すると言っていますので、4人で行く年くる年になります。

茨木インターで名神高速から降りて我が家に向かう。

私たちがドライブ旅行に出発した10月19日は母の誕生日でした。生きていれば102歳ですが、父より少し控えめの101歳と8か月の6月に逝ってしまいました。両親とも80代は写俳の先生だった伊丹三樹彦師のグループで海外旅行、それもブータンとかモンゴル、ポルトガルなど珍しい所を訪ねていました。父や母が辿った100歳までの道筋が私たち後期高齢者夫婦の道しるべです。変わらぬ日常をこれからも続けられれば本当に幸せです。その為にも、まずは平和であってほしいと願います。

 

☆ところで、”はてな”が関連ブログを載せてくれています。それを読んで思い出しました。紺地に金文字のお経を見たことがあると思っていたのですが、中尊寺の経蔵にあったお経そのものが箕面のお寺にあるとは驚きました。瀧安寺の国宝級の「中尊寺経」が修復され展示されています。 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)