瀧安寺の国宝級の「中尊寺経」が修復され展示されています。

【お知らせ】本日、10日(木)のNHKクローズアップ現代+」で、SEALDsが取り上げられます。
「ハートネット」の再放送についても、詳しくは昨日のブログで!


先週、散歩に出て、さて、行先は? 心臓に負荷のかかる坂道を選んで山裾の北へ向かいました。
箕面北小学校の周りの昔ながらの豪邸は代替わりして敷地が売りに出され、何軒かに分譲され、それでも、かなり大きな新しい家が立ち並びすっかり生まれ変わったようになっています。そのなかで、一軒だけ貝塚伊吹の生け垣が残るお宅が。先月の同窓会で、先生が仰っていたお友達の家です。門構えや生け垣はそのままですが、昔の家は建て替えて新築の立派な家が建っていました。そのまま西に進んでドライブウエイを横切って竹藪の下の道を行くことに。中の坂の急坂あたりのお宅の小道を西へ西へ。初めて通る道ばかり。そのまま行くと滝道に出ました。駅前からは、市の広報誌「もみじだより」に載っていた展示を見ようとサンプラ一号館の地下へ。
紺紙金銀字交書一切経」というお経です。書いてある通り、「紺紙」=和紙を藍染した紺色の紙に、「金銀字」=金と銀の色で字が、「交書」=交互に書かれた「一切経」=お経(大蔵経)です。
金字とか銀字のお経は見たことがありますが、一行ずつ交互に金と銀で書かれたお経は初めて見ました。貰ってきたチラシによりますと、このお経は中尊寺にあったものだそうです。「平安時代に装飾経は多く作られましたが、中尊寺経のように文字と装飾が大変美しく、金銀を交互に使って書写されたものは他に類がないことから大変貴重なものと言われています」。 写経を行う僧をたくさん集め8年もの歳月を費やして贅沢なお経を作ることができたのは奥州藤原家の財力のおかげだそうです。

【特別公開 箕面山瀧安寺 所蔵 中尊寺経            紺紙金銀字交書一切経


 中尊寺経は、平安時代藤原清衡が平泉の中尊寺造営の際に奉納した5,400巻の装飾写経です。お経が初めて奉納されたのが中尊寺であったことから、一般的に「中尊寺経」と呼ばれています。


 中尊寺完成時に清衡が読み上げた『中尊寺建立供養願分(ちゅうそんじこんりゅうくようがんぶん)』には、「前九年、後三年合戦の犠牲者を、敵味方区別なく弔い、数多くの御霊を浄土に導き、奥羽両国に平和な仏国土を築きたい」ということが書かれています中尊寺経奉納には、こうした清衡の不戦の願いも込められました

修復の過程が展示されていますが、ビックリしたのは和紙を藍染した後、イノシシの牙で艶出しをしたという説明。ビフォーアフターが展示されていましたが、確かにツヤが出てていました。イノシシの牙の大きさにも驚きましたが、よく思いつきますね。写真では艶が分からないかも。

◎もう一つ驚いたのは中尊寺経の現在の所在地です:

平泉の中尊寺には15点しかなく、高野山金剛峯寺に4300ほどが、どちらも国宝として。あとは河内長野観心寺重要文化財として166点。そして箕面瀧安寺の5点です。あとは東京と京都の国立博物館に。

チラシの説明によりますと、「大部分は室町時代豊臣秀吉の命で高野山金剛峰寺に移されました瀧安寺へ伝わった経緯は、はっきりわかっていませんが、移された際、またはその後に一部が散逸し、それが瀧安寺に伝わったのではないかと考えられています」。
貴重なものなんですね〜。それも、分かったのはつい最近のことです!
役行者が650年に建立した瀧安寺に古来から伝わる美しい経典。平成15年に京都国立博物館の調査により、この経典が1126年奥州の藤原清衡が平泉の中尊寺に奉納したと言われている「紺紙金銀交書一切経」であると判明しました。修復作業により、900年の時を超え、再び黄金の輝きを取り戻した貴重な至宝を、今回特別に展示いたします。」
◎12月11日まで、箕面市立郷土資料館(入館無料)、木曜休館、5時までです。
駅前のサンプラ1号館の地下、ついでの時にでもぜひ。一見の価値ありです。