映画「月」(宝塚シネ・ピピア)を見て・・・

◎昨日は、お茶のみ友だちのSさんと二人で映画「月」を観てきました。

★10月13日付けの朝日新聞に掲載された磯村勇斗さんの記事です。

★その後、又、『障害者』として映画に出演した障害ある方の記事も:

◎前日オンラインでチケットを購入、翌日、初めての映画館へ。

実は、東北ドライブに出かける前に、梅田でこの映画を観てからと思っていましたが、ネットで映画館のアクセスの地図を見ても辿り着けそうになく、どこか近場で他にと検索したら兵庫県ですが、阪急宝塚線の売布(めふ)神社駅の映画館で11月10日公開というのがあり、安心してドライブ旅行に出かけました。帰ってから、お茶飲み話のついでに「月」の話をしたら、Sさんも観たいということで、二人で出かけることに。駅から1分というビルの5階のミニシアターでした。11時50分、箕面駅で待ち合わせ。12時40分開演。

☆7年前のあの事件の映画化ですから、夫や長男からは『よく行くな~』と一寸呆れ気味に言われていたのですが、怖いもの見たさというか、見なくちゃいけないのではないかと云うような気持ちもあって・・・Sさんもきっと同じ気持ち。

昨年6月に亡くなった河村光庸(みつのぶ)プロデューサーが、亡くなる直前に手掛けた映画が二本あります。一本は「新聞記者」と同じ藤井道人監督の「ヴィレッジ」、これは春の連休に梅田で観ました。そして、もう一本がこの津久井やまゆり園事件を扱った「月」でした。主演の宮沢りえさんが映画の公開記念舞台挨拶で話した内容が記事になっています:

 「今、日本だけでなく地球上でいろんなことが起きている。この平和なのか、殺伐としているのかよくわからない世の中を生きていて、そこで生きていくために保身してしまう自分にどこかもどかしさがあって、でもそのもどかしさの中で日々の幸せを感じたりするような人生を送っている。でも、河村さんの話を聞いて、そのもどかしさを乗り越えたいって気持ちが強く湧きました」「賛否両論ある作品ですがここから逃げたくないって。そう思ってオファーをお受けしました」

 撮影時も河村の影響を感じていたと述べ、「撮影中、河村さんという核がいなくなって、現場は混乱もありましたが、その魂をなんとか映画化したいという熱気があった。その熱気に背中を押されて頑張れました」

宮沢りえ、賛否両論ある作品から「逃げたくない」 涙浮かべ声詰まらせる (msn.com)

☆終わったのは3時過ぎ。2時間以上、緊張がゆるむときの無いキツイ映画でした。打ちのめされるというか、怖いものを見たという感じで、2,30分、二人でボーっとしていたら、周りに人影がなくなっていました。ホールの一角が喫茶コーナーになっているのに気づいたので、遅い昼食代わりのケーキセットを頼み、外が見える二人掛けの席で映画について話し合うことが出来ました。一人で見ないで良かったとSさんが、私も同じ思いでした。映画の内容をチラシから引用です:

 月
深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は”書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、二人で慎ましい暮らしを営んでいる。施設職員の同僚には作家を目指す陽子(二階堂ふみ)や、絵の好きな青年さとくん(磯村勇斗)らがいた。そしてもうひとつの出会い―――洋子と生年月日が一緒の入所者、”きーちゃん”。光の届かない部屋で、ベッドに横たわったまま動かない”きーちゃん”のことを、洋子はどこか他人に思えず親身になっていく。
しかしこの職場は決して楽園ではない。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにする。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだ。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく―――。
そ し て、そ の 日 は や っ て く る 。

☆Sさんの息子さんは民間の高齢者の介護施設で働いておられます。小中校時代から優しい性格のエピソードを聞いていましたが、今でも休みの日には、子ども相手のボランティア活動に出かけるとか。それでも、営利企業で、職員にもいろんな考えの人たちがいるので苦労もあるようです。環境や状況次第ではこの映画のさとくんと紙一重という人たちが今もどこかに居ないとは限らないと云うような話をしながら・・・

原作は事件を題材にして作家の辺見庸さんが書いた長編小説「月」。映画では月が映され、施設の場面は殆どと言っていいくらい月明かりの仄かな明るさというか暗さの中で描かれます。人は月明かりに正気を失っていくと言いますが…。
小説家志望で作家の洋子に憧れる施設職員陽子(二階堂ふみ)が東日本大震災を描いた洋子の小説に「津波のあの匂いがない」という場面があります。どれだけ克明に映画が施設の悲惨で目をそむけたくなる現場を描いても、それでもまだ匂いまでは伝わらないということを示唆しているようでした。さとくん(心の無い障害者は殺しても良いという考え)に対峙する宮沢りえさん(洋子)の誠実で悲痛な辛さそのものが唯一の救いであり希望かも知れないと思いました。