妙見山のケーブルと日曜日のお茶会

◎12月3日、12月最初の日曜日は生涯学習センターのお茶会の日でした。コロナ禍の2年間、お茶会は開かれなかったのですが、去年から再開されて2年目。メープルホールの建物の中のお茶会、12月担当が私たちの先生でした。

前日土曜日の2時。いつもの3人グループのお二人は、本番の日は早朝から着付けがあって、土曜日もそれぞれお忙しいので、私一人で準備に顔を出しました。掃除機は掛けられても、お道具の箱出し後、紐を結ぶのにてこずりました。真田紐、あの真田幸村和歌山県九度山で発明?したという、しっかり編み上げた平たい紐です。

お茶の道具類を入れた木箱を十文字に紐掛けして蝶結びに結ぶ、あの紐です。先日、金沢の従妹が送ってくれた食籠の大きな箱に真田紐が掛かっていたので、ネットで結び方の動画を探して、復習しました。

◎本番の日曜日は、夫も早朝出発で妙見山に出かけました。この日、妙見山のケーブルカーがお役御免の最終日。前日のテレビニュースや新聞にも紹介されたので、翌日の日曜日は大変な人出だったとか。夫の山の会ではバーベキューを予定していて、おにぎりは各自持参ですが、夫はおにぎりは冷たいのでチーズとレーズンが入ったお気に入りのパンを持参。肉は会で用意するので、各自、野菜を下茹でして持参することになっていました。家にある野菜、ピーマン、ナス、ニンジン、ジャガイモ、タマネギを薄切りにしたものを用意して、7時の電車で出かけました。

昔、大阪の北部は豊能郡(とよのぐん)でした。池田市箕面豊中吹田市の一部が入っていましたが、郡制がなくなって、大阪の最北部は能勢(のせ)町と豊能町になっています。その能勢にある妙見山のケーブルカーが廃止になるというニュースです。

この日の山の会の目的地が妙見山能勢電の山下で降りて、妙見口へ向かう電車に乗り換えるそうです。去年に続いて今年もということで、ケーブルの最終日と重なったのは偶然とか。東海自然歩道の西の起点は箕面山、東の起点が高尾山なので。箕面と高尾はセットかと思っていましたが、記事によると、妙見山も『西の高尾山』をめざしているんだとか:

妙見山も高尾山と同じくケーブルカーがあって、霊場であることなど、共通点が多いので、「西の高尾山」を目指し、能勢電鉄ではべーべキュー場や足場、広場も整備。「妙見ハイキング」は人気イベントになった。ただし、最近では高齢者や家族連れが山頂まで車で行くケースが増えて赤字が続き、コロナ禍や将来の修繕費の問題もあり、廃止に決めた。

このニュースのお陰でこの日の人出は凄かったそうです。下りも行列に並んで乗らなければならないので、誰かが歩いて降りようと言い出して、3人で歩いて下ったそうです。山登りというよりバーベキューメインの忘年会のような感じなのかも、帰ってくるのも早めでした。

◎さて、お茶会の方は、8時過ぎ、お茶室前に到着していたのですが、9時開館の生涯学習センターは「45分にならないと鍵は渡せません」ということで、スタッフやお客さんが行列して待つことに。

9時過ぎ、グループのメンバーのNさんが着物姿で来られましたが、もうお一人のNさんが着物の着付けの途中で倒れたというビックリニュースでした。6時過ぎに西光寺の掃除当番で出かけておられて、それが済んで、着物の着付けで、やり直してがあって30分以上立ちっ放しが良くなかったのではないかとNさん。先生も驚いておられましたが、毎回、お稽古のあとのお喋りの時間で、働きすぎ、お役、引き受けすぎ・・・とみんなで心配していたことでした。大事には至らなかったということで良かったです。ということで、受付にいつも着物姿で座っておられたお役は先生の指示でどなたかが・・・。

私はいつもの通り、主菓子と干菓子の担当。大先輩がおられるので安心ですが、90歳を過ぎておられるのか、同じことを何回も聞かれたり、布巾を何回も洗いに行ったり、小さな腰掛から立ち上がる時、少し手を貸さないと危なかったり…気を付けて見守ることに。先生も分かっておられるようでした。もちろん、戻って来た棗にお抹茶を足して綺麗に山形に整えたり、仕組茶碗や黒文字のお世話はさすがです。

120人ほど来られたのかな…1回20数人のお客さんにお茶を点てるのですが、最後は8人ということで、私たちもエプロンを取って、お客さんになって、お抹茶を戴くことになりました。お稽古の時と違って出されるお茶碗や道具はそれぞれ銘があり、箱書きがあり、由緒正しいものばかり。掛け軸は、なるほど、一年の最後の月にふさわしい。

途中でお茶とお弁当が出て、暇を見つけて食べてくださいと言われていましたが、ほんの少しつつく程度しか食べられず(私の1/3 しかない胃の所為)、最後にお茶席に座って、「落葉」の名がついたお菓子と熱いお抹茶をとても美味しいと思って戴きました。

未熟な者は手伝いにもならないということがよく分かりましたので、帰っていいと言われた時間に遠慮なく退去することにしました。

夜になって、Nさんにお見舞いのラインを入れたら、即、電話が鳴ったので、Nさんだと思って電話口に出ました。お元気そうな声で安心。倒れた事情とその後について聞きました。阪大の脳外科へ車で行ったら、救急で入らないと、前回から1年以上経過している患者は診ることはできないと言われ、消防署まで引き返して出直したそうです。救急車の中で手を開いたり閉じたりして、とにかく動かせるところを動かし続けていたそうです。今日のところは家に帰って月曜もう一度病院で詳しい検査をするということで、その検査結果もOKでした。

私は、何より、本人が電話口へ出てお話がしっかりできているのに感激。悪い方を想像してしまっていましたので、嬉しかったです。彼女に誘われて始めたお茶のお稽古ですが、三人とも免状を取る気はないし、お茶の作法やお道具や掛け軸の言葉や、そして何より先生交えて、情報いっぱいのNさんの話を聞いて帰るのが楽しみなお茶の時間です。

先生からいつぞや笑いながら、習っている年数を言わないようにと言われたこともありましたが、我々3人の劣等グループの扱いは特別なのかもしれません。それでも良いと仰って下さる先生は今の先生以外にはきっと誰もいないと思います。いい加減な生徒を、しょうがないな~と思いながら教えてくださっているので本当に有難いと改めて思い直しました。真面目なお弟子さんたちから見たら、劣等生3人は足手まといかもしれません。今回、前日のお手伝いに行って、つくづく役立たずで却って迷惑だと思いました。かといって今のペースを変えるつもりもない3人です。

お二人にとってお茶席は着物を着られる良い機会ですが、私の場合は、誘われた時は丁度断捨離で着物を全部妹に譲ってしまっていて着物は着ないという条件付きでしたので、困ったもんです。表に出せない弟子を先生が上手に使ってくださってることに改めて感謝し直さないといけません。

掛け軸の言葉「本来無一物

 --本来無一物--読みはホンライムイチモツ。元々何も持ってないという意味。

 私達は裸で生まれて来て、そしていつか同じ様に何も持たずにこの世を去って行きます。
この世は良くも悪くも無常です。人生の成功も失敗もいずれ転変していきます。
仏教の基本は「こだわらない」こと。
無駄なこだわりを捨てると、身も心もすっと軽くなります。