日曜のテレビ番組から (「たかじん」と「沸騰都市・シンガポール」)

15日の「たかじんのそこまで言って委員会」は新聞の番組案内では「1945検証“沖縄集団自決”と軍」となっていて、沖縄の裁判闘争の責任者の方と琉球大学の先生と沖縄出身の現役自衛隊員の三者がゲストでした。

この番組は、最初の印象では「右寄り」のコメンテーターが言いたい放題で少数派の「左」を寄ってたかって苛め抜く番組か?と思った頃がありました。でも最近と言ってもここ1、2年ほどは(あるいは私の印象の変化からか?)世間的にはタブーとされて普通には話し合ったり、意見を交わしたりしない問題を取り上げ、ゲストに当事者を呼ぶ(出たくない人たちも多いとか)ことで、かなり突っ込んだ話し合いになるケースが多く見逃せない番組になってきました。新聞、雑誌では極論にお目にかかることは少ないですし。

この日は司会者のまとめ方のせいもあってか、「集団自決があったこと」と「軍が命令した」という証拠は残っていないものの、軍が一括支配していたことから考えて状況証拠的なものは十分考えられる(口頭での命令や手榴弾を二発づつ渡したことなど)という点では全員一致(元航空幕僚長の田母神氏と自衛官を除く?)だったようです。

私はその後の話が興味深かったです。沖縄の方が「戦後63年、憲法9条のおかげで日本人が戦争をしないでやってこれた」と発言し、三宅氏が激しく「そんな空想論をいつまでもやってるからっ〜」と咬み付いた時、宮崎氏が「それは事実としてあります。朝鮮戦争ベトナム戦争のとき、9条がなければ日本も韓国と同じように米軍と行動を共にするよう求められ断り切れなかったでしょう」と発言。

それと、琉球大の先生の発言。「日本の対米従属の安保条約は今回イラクから米軍が引き揚げるときのものよりもひどい(基地の数、規模、治外法権などの地位協定など)と言われるくらい」の後、「サンフランシスコ講和条約のとき、吉田茂は全権大使を嫌がった。もっと対等の条約にしたかった。しかし、最近、昭和天皇の側近が漏らした話では、天皇が関与したそうだ」

この話に三宅氏が「そんな話があるくわっ!」と血相を変え、言葉を荒げて噛みつく。しかし、「天皇朝鮮半島が共産化されることを恐れて、それを阻止するために米軍が日本の基地を自由に使っても、と考えた。吉田茂は最初、大使を断った。それを聞いた天皇吉田茂を呼んで全権大使を受けるようにしたことなど、最近、本になっているので是非読んでほしい」と言われると、三宅氏、一変!「天皇が共産化を恐れていたのは本当だ、私の記者時代の経験からも」で、「それは、あり得る」と一人納得顔。 

そこへ、元共産党だった人が「共産党の名誉?のために言っておきますが、昔は天皇制は打倒だったが、今は違う。たとえ日本が社会主義になっても天皇制は残すというのが今の考え」と。なぜ残す対象に変わったのかその理由を一寸知りたいとも思いました。

昭和天皇について初めて聞くエピソードでしたが、もし、この琉球大の先生の話が本当だとしたら大変な犠牲(日米対等)と引き換えだったということになります。来年は70年安保から数えて40年。戦後日本の日米関係・安保体制をどうするのか、その前に日本はどんな国でありたいのか、国民的合意が出来ているのか、出来ているなら再確認したい、と思ってしまいます。


夜、NHKの「沸騰都市」。前回のバイオエタノールのブラジルも興味深かったのですが、今回はシンガポール。リ・クワン・ユーの息子が出ていました。この人の一言が強烈でした。世界中から優れた才能を引っ張ってきて、環境をととのえて、お金になる開発や実験を惜しみなくやらせて功を競わせる。世界中の金持ちが集まってくる。そして、貧乏人も。

バングラデシュから家や土地を売り払って病気の妻を国に残して一人出稼ぎに。しかし、この世界金融不況のあおりで仕事はなく、2年間の滞在中には目処がたたず、やむなく帰国。責任ある立場のリ・クワン・ユーの息子が記者たちの「外国人労働者にしわ寄せが・・・」という質問に答えて曰く「彼らはバッファーだ」!

バッファーとは? 「buffer:緩衝器(装置)、自動車のバンパー」
はっきりしていますね〜。「景気の良い時はたくさん人手が必要で、悪くなれば要らない、そのための外国人労働者だ」と。その通り!ですが、「一寸待って」と声がします。私が日本人だからか、「それでいいの?」という声が聞こえます。

去年の暮、NHKで、「若手論客」を呼んでのその年最後の日曜討論会がありました。地方自治体最年少(34歳)首長ということで箕面市長も出演していました(今年に入って最年少は更新されてしまいましたが)。 その席で印象に残った発言があります。自殺予防のNGOの若い責任者が「日本は毎年3万人の自殺者を10年間出し続けている。死にたくて死ぬ人たちではない。一部の人たちの幸福が一部の人たちの命の犠牲の上に成り立っている社会はどこかおかしい、変えなければ」という発言でした。

シンガポールの富裕層の豪奢な暮らしは、まさに、バングラデシュの、家や土地を失い、今また仕事も失って、病の床の妻の元に帰らざるを得ない人の犠牲の上に成り立っている、とは云えないか? 人間を「緩衝器」と言って恥じない人には見えていないかもしれないけれど、私たちには見えている、見なければいけない現実ではないか、と。
国内で目にする問題は、日本だけに止まらず、同じことが地球規模で起こっている、という意味でグローバル化をヒシヒシと感じました。村上春樹さんがイスラエル文学賞をもらう席でイスラエルパレスチナ攻撃を暗に批判するスピーチをしました。日本人も日本人の価値観で世界に物言うことが求められている時代、世の中の動きに無関心や無知では済まされないと改めて思いました。