花の帰り道と・・・天皇制と4月28日

昨夜のサッカーヨルダン戦の夜更かしがたたって今朝は寝過ごし、コーヒータイムをさっと済ませて何とかサンプラ和室のヨガに滑り込みました。
サッカーは、本田、長友を欠いてか、日本代表、ちっと元気がないというか集中力がないというか、遠藤がゴール真正面のPKであんな失敗をするし・・・いいとこなしでした。香川の1点のみで1−2で、W杯出場は決まらず持越しです。
明日から家族会で2泊3日の鳴門行きですので、帰りはまっ直ぐ帰宅。お花見しながら帰ってきました。(←)先ず信号を渡った「かみしろ」さんの前のムラサキハナナ(花大根)と南側、冬越しのハーブのボリジ(→)。我が家の北側の越冬ボリジはまだツボミです。

サンデイの横の畑の菜の花、今年は力が入ってなくて少しだけ。桜並木横のマンションの北側の小さな三角公園の桜の古木。まだパッと咲く勢いではありません。桜並木は、5分咲き程度。


桜並木を曲がって、いよいよ我が家のご近所。まず、ブロック塀の穴からのぞく白い沈丁花。香りが良いです。
お向かいさんの石垣の上の花ニラ。そしてツルニチニチソウ。南の日を受けて咲いています。
そして我が家へ。
北側玄関先、今頃、リュウキンカ(龍金花)が咲きそろいました(↓の黄色い花)
2色のクリスマスローズも咲いています。
昨日の記事で戴いたコメントについて考えています。
徳川260年ほどの江戸幕府を倒して生まれた明治政府。錦の御旗を掲げての御一新がその後、薩長の新政府の正当性や中央集権の権威づけに最大限利用されるようになったのが不幸の始まりみたいなところがあったな〜と。昭和の初め、大東亜戦争が終わるまで、小学校には御真影という天皇の写真があって、祠に入っていたそうです。あるとき学校が火事になって持ち出せなかった責任を感じた校長だか教頭先生が自殺した、なんて話も聞いたことがありました。
孫崎享氏の「戦後史の正体」では、昭和天皇が沖縄をアメリカに差し出したと。戦前、戦中、天皇制打倒を掲げる共産党の人たちは節を曲げず。あの治安維持法の下でも活動を続け、残虐非道な暴力にも負けず非転向を貫く人たちを、天皇は心底怖かったんだと思います。資本主義で一応民主主義のアメリカと共産主義国家のソ連とのあの冷戦下で、天皇制反対を唱えた共産主義者の総元締めのソ連が日本を支配することになれば、戦中、戦時下の共産主義者弾圧の仕返し(?)で、ひょっとしてロシア革命の時のロマノフ家の最後みたいになると恐れ、かつ怯えられたかも。それで、鹿児島が沖縄を吸収するまで日本でもなかった琉球=沖縄を差し出して日本=天皇家アメリカに守ってほしいと昭和天皇が思った・・・・ということは、あり得ると思ったり。
その反省もあってか、今の天皇陛下の沖縄への思いは一入(ひとしお)です。戦後、憲法の大きな変化の一つが、天皇が象徴となったことですが、その本当の意味は昭和天皇にはお分かりいただけなかった(?)。現憲法の「天皇」を体現化されているのは今上天皇美智子さまだと思います。美智子さんが嫁がれるとき、「天皇制はどうなりますか」と訊ねられたことがあったと何かで読んだことがあります。おそらく、憲法をしっかり読んで日々生きてこられたのは今の天皇皇后両陛下と皇太子さま御一家ではないでしょうか。
権力闘争の中で、天皇制を利用してきた勢力・・・利用価値があったからですし、その役割を良くも悪くも果たしてきたからこそ生き残っているわけですが、日本人として、天皇制をどう考えるか、良い役割とは、悪い役割とは・・・を考えてみるのも大切だと思います。
安倍総理が4月28日を「主権回復の日」として、天皇・皇后にまで出席を求めて記念式典を行うことにしました。ところが、この日は沖縄では「屈辱の日」とされています。安倍さんが使う「日本」という言葉の中には沖縄は含まれていないと感じることがよくあります。例えば、「辺野古移転は日米で合意された懸案なので、沖縄には説明して納得してもらう」と言われますが、この「日米合意」の日本のなかにはつくづく沖縄は入っていないんだな〜と思います。沖縄の問題なのに、当事者の沖縄を無視して日米合意もないもんです。さて、その4月28日をどう位置付けるか? 2つのブログを紹介します。
■「生き生き箕面通信」さん<沖縄にまたひとつ「屈辱」を押し付ける安倍政権>から一部引用です。全文はコチラで:(http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/a9e65ae8006fd219c453d6461da6fed9

 安倍首相が新設することにした「主権回復の日」なるものは1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効によるものですが、この日は同時に締結した日米安保条約によって「日本のアメリカ従属」が決定した日でもあります。
日米安保条約は、「アメリカ政府は、日本領土のどこへでも好きなだけ基地をつくり利用できる」という条文を含み、文字通り日本占領を実質上継続させるものでした
だから、この日の「主権回復」はみせかけであり、真の支配者はずっとアメリカさまのままです。したがってこの日は、沖縄にとってばかりでなく、日本国民全体にとっての「屈辱の日」であるというのが真実と言えます。

■「青空学園だより」さん<「主権回復」は奴隷の言葉> (http://d.hatena.ne.jp/nankai/20130326
コチラでも同じく4月28日をとりあげ、当時の2つの選択の意味・全面講和とアメリカ単独講和について考え、4月28日を「福島核惨事にいたる戦後政治体制が確定した日」としています。是非全文を。
◎安倍さんが4月28日のこの日、「日本をアメリカから取り戻そう!」と叫んだら?? …春の夢…ですね。