芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」

隣の父が読んだあと廻してもらっている「文芸春秋」誌三月特別号が一月遅れで手元に来た日、
第百四十回平成二十年度下半期芥川龍之介賞の受賞者津村記久子の「ポトスライムの舟」を読みました。
授賞のニュースで「ポトスライム」と聞いたとき誰か哲学者か宗教学者の名前かと思ったのですが、
観葉植物の「ポトス」と知って「な〜んだ」と思ったり。
今回も作品を読む前に選評を読みました。石原慎太郎が毎回のように作品の質について嘆いているのが
今回は「他の作品のあまりの酷さに、相対的に繰り上げて当選ということにした」と割にマシな表現が
意外だったので、これはイケルかも・・・と期待をもって読み始めました。


内容は選者の一人、黒井千次氏の選評から引用

大学を卒業して入社した会社をモラルハラスメントが原因で辞めざるを得なかった29歳の女主人公の契約社員としての生活を、大学時代の三人の女友達それぞれの生き方、相互の交流と重ね合わせて淡々と描いた作品である。とりわけ大きな出来事が起こるわけでもないのに、澄んだ水が正面から勢いよくぶつかって来るような読後感が生まれるのは、奈良にある築50年の古い家に母親と暮らす主人公の日々が、確かな筆遣いで捉えられているからだろう。「仕事先で休憩時間に見かけたポスターの世界一周クルージングに興味を覚えながら、その費用が彼女の年収と同額であることに気づくところに、皮肉と自嘲と批評とが込められている。29歳から30歳になろうとする現代女性の結婚や離婚、仕事や家族達の様相がくっきりと浮かび上る作品となった。

私は読み出したら止まらず、一気に最後まで読んでしまいました。淡々と描かれてはいますが、
なかなか巧妙に謎解きや小粒ながらドラマチックな展開があちこちに仕込まれています。
タイトルにもなっている小道具のポトスの扱いなど色彩感もあって、居候の友達の幼稚園児の娘と一緒に
家じゅうのコップにポトスの葉を一枚づつ差していく印象的な場面もあります。
ポトスが食べられないか、という妄想にとらわれ、調べて毒があってダメだとわかったら落ち込んで・・・
という情けないユーモアを通して、彼女の生活感、経済状況、社会や時代背景も窺えるという具合に、
これはナカナカの小説です。

読んだあと、さて我が家のポトスは・・・と二階のアーチ窓の定位置に長年置いてあってもう住み着いたような
ポトスを見るために二階に上がってみました。季節のせいもあって、葉が黄色くなって元気がなくなっています。
暖かくなったら私も葉をコップ差しにして根を出させ、株を新しくしてやらなきゃ・・・とこの小説を読んで、
放ったらかしの我が家のポトスライムを思いやったものです。