「不戦の誓い」

先日、あれは、討論番組「日本の、これから」の前夜、五木寛之奈良岡朋子金子兜太がコメンテーターとして戦争を語る番組でした。テレビを点けたままの状態で夕食に入ってしまいました。ひとしきり、それぞれが、戦争体験を語るVTRが流れ、コメンテーターが話すという進行でしたが、珍しく、70年代生まれの息子が口をはさみます。

「被害者意識でみんな話しているけど、こんなん聞いたら、やられてた人らはたまらんやろな〜。やってた国の人間がこんな思いをしてるんやから、やられた人らはどないなんねん」
最初は何の事を言ってるのか分らなかったのですが、あの戦争は日本が起こした戦争でした。日本から出て行って、今の中国や朝鮮、インドネシアスマトラパラオ、等々、が戦場になりました。日本は加害者だったじゃないか、加害者としての意識はないのか、とそういうことがを言いたかったのか〜
 「中国の人たちとは周恩来の時、日本人(民)も日本の軍国主義(者)の同じ被害者だということで日中国交正常化ができたのよ」と私。「それなのに、靖国やしな〜」「そういうことね〜」

「人間魚雷」とか「特攻」とか人を人とも思わぬ「作戦」をとる日本の戦争指導者に、その当時の人権意識のかけらもなかったわけです。戦争当時の海軍指導者の400時間に及ぶ「反省」の記録をもとにした3日連続の特集番組がNHKでありました。個人的にはだれも賛成できない作戦でも、会議となると沈黙。流れに逆らえないで事は決まっていったということです。出る釘になりたくない、という風潮は今でも変わらない。せめて命にかかわる決定には命がけで発言してほしい。命にかかわるほどの問題でなければ、せめて自分に恥じない行動を起こす少しの勇気を持ってほしいと切に願います。
出る杭は叩かれますが、必ず賛同者がいます。みんなが最初の一人になってもかまわないと思えば孤立無援という状態にはならないわけですから・・・

先日の「たかじんの委員会」でのこと。「戦争になったのはどうしてか?」という問いに皆さん(アイドル席を除いて)マトを得た回答で、田嶋さんも大人しかったので、認識が一致すると対立したりケンカ腰にはならないんだな〜と。その中でも、評論家の三宅氏の「21カ条の要求」というのはサスガと納得。NHKの番組で復習?していた通りだなと思いました。あの辺りで、日本は世界情勢というか各国の許容範囲の目安を読み違えて、あとは政治不在、軍人の言いなり・・・その結果があまりに無残・・・ 


話があち、こち、飛んで、今日書いておきたいことがずいぶんと後回しになってしまいました。

あの戦争を体験した日本人の大部分は加害者意識よりは被害者意識を持っているといいます。戦争が終わって悔し涙を流した人も皇居前広場で自決した人も居たには居たが、大部分は「これで戦争は終わった」とホッとしたといいます。広島・長崎の原爆を通して、私たち日本人は「敵を憎む」よりは「戦争」を憎むようになりました。あの戦争の犠牲者300万人の命を無駄にしない道は、やはり、戦争をしない、2度と戦争はしないということだと思います。
憲法の前文と9条は、「与えられた」かどうかは別にして、日本人がこの戦争と原爆の体験を通して得たものと見事に一致していると私は思います。

今朝の日経のコラム「選択09 衆院選ー政治に期待すること」に、客員コラムニストの田勢康弘という方が「主権者も問われている」という長文の最後に「新しい日本像を」というところで「今こそ、不戦の誓いを」と書いています。

戦争の記憶が風化しつつあるいま、いかなることがあっても戦争をすることはないということを戦後64年たったいま、各党で確認することは必要なのではないか。憲法の拡大解釈などで、かつてそんなことはできないだろうと思われていたこと、自衛隊の海外派遣などが現実になっているいまこそ、不戦の誓いをするべきときである。

政治も経済も社会も、混乱の極みのままこの国を、この社会を次の世代に引き継ぐのは気が重い。若者たちが夢を持ち、学ぶということがどういうことなのか、何のために生きているのか、考えようと思えるような状態にしたい。海外を旅して、ふと思う日本の愛しさーーー

新しい日本へ向けた再建のスタートが、この衆院選だと位置づけなければならない。