水引草の思い出

我が家には、斑入りの葉の赤い水引草と、北側の玄関先に白い水引草があります。
赤い方は、2,3年前、私が苗を買って植えました。

白い方は、Mさんが亡くなる半年ほど前に持ってきて下さったものです。


Mさんは、我が家とは背中合わせの筋の東角のお嬢さんでした。今から半世紀以上も前の子供の頃の話ですが、
大きなお家の娘さんでした。貰いっ子で、お母さんがまるで少女小説の継母みたいに怖くて厳しくて可哀想だという噂でした。
彼女は私学に通っていたので、私とは同い年でしたが、同級生ではありません。


私が電車通学するようになった高校生の頃、駅からの帰り道で一緒になると、10分ほど歩きながら他愛もないお喋りをして帰りました。
サッパリした方で、ウマが合うというのでしょうか、とても楽しかったのです。
それから、私は、結婚して地元を離れ、10年ほどして家族4人で実家の隣に家を建てて住むようになりました。
彼女の方は、結婚して、女の子を一人連れて、実家へ戻っていました。
ご主人を亡くされて、姓はMさんではなくて、表札が二つ並んでいました。
あの厳しいお母さんと女三世代で住んでいるという噂でした。


その後、また、何年か経って、娘さんが高校生になった頃、不意に彼女が訪ねてきて、娘さんの英語をみてほしいと頼まれました。
娘さんの高校の英語の教科書を一緒に読むお相手を務めることにしました。
3年が経って、しばらくした頃、彼女が水引草の苗を持って訪ねてきました。
厳しかったお母さんの最後の面倒を見終わって半年ほど経った頃でした。
お母さんの話と、娘さんが保母さんの道を選んで喜んでいるということで、珍しく30分ほども二人で玄関先で話しました。
彼女が「赤いのはどこにでもあるけど、この白い色の水引草は珍しいから」と言うので、「じゃ、大切に育てるわね」と私が言ったら、
「大丈夫、あとで困るほど増えるから・・・」と。


それから年を越して半年ほどして、彼女が亡くなったことを知らされました。
お葬式に行って知ったのですが、癌だったということでした。
義理のお母さんに尽くして、これから自分の人生という時に・・・と泣けました。


あれから10年ほど、彼女が言った通り、水引草はとっても丈夫で本当に困るほど増えるので、時々、間引きをしています。
水引草が白くて小さい花をつける頃、彼女のことを思い出します。