「逆説の日本史11・戦国乱世編ー朝鮮出兵と秀吉の謎」

井沢元彦の「逆説の日本史」を勧められて何度か図書館へ行ったのですが、どうせ読むなら1の古代からと思っていましたが、いつ行っても抜けています。途中から読むなら大河ドラマがちょうど秀吉から家康に変わるところ、というので11を選んで読み始めました。

タブーとか自虐史観に挑むという講釈と歴史学者批判がどうも私には余計?で早く本論に入ってよと言いながら読まないといけません。
たとえば秀吉が6本指の多肢症であり、前田利家の「国祖遺言」に「子供の時秀吉は右手親指が二本あった。織田信長公が太閤様の事を「六つめが・・・・・」とあだなで呼んでいた」と書かれていたり、宣教師のルイス・フロイスの「日本史」にも秀吉は片手の指が六本と書かれている。歴史的事実なのになぜ大勢の日本人が知らないのか。歴史学会がタブー視しているからだ、ということなのですが・・・  
歴史学会のことなどあまり関係ない私からすると、この辺の井沢氏の憤りよりも、「だから、本当はどうだというの?」と本題に牽かれます。

朝鮮出兵=「秀吉の唐入り」については特に注釈が多く読みづらかったです。歴史を読む時、善悪とか功罪とかは当然その当時と今日では違ってきても、それが歴史というものと思っています、一応。井沢氏の本を読むんですから、貴方の解釈を早く聞かせてよ・・・が本音。でも、どうも井沢氏の場合は批判のための本論みたいなところがあって、読みにくいところがありました。
それが気にならない所はとっても面白くって。たとえば、信長、秀吉、家康の歴史的意義は3人セットでみていけばよい、というのはナルホド〜でした。特に太閤検地による国力の数値化、貨幣の統一、宗教統一政策などの第4章「豊臣の平和編」は読み応えがありました。次回は戻って10の戦国覇王編「天下布武と信長の謎」を読もうかな。家康の12は出版されているのかな?
  (木立性ベゴニア)

今日の「徹子の部屋」は白洲次郎の孫で文筆家の白洲信哉さん。父方の祖父が次郎、母が白洲正子、母方の祖父が文芸評論家の小林秀雄です。小林秀雄といえば、大学受験の国語の読解に出題された難解な文章で知りましたが、クラシックに興味を持った時に初めてその作品に接しました。「モオツアルト・無常といふこと」に有名なくだりがあります。40番の交響曲についてですが、音楽を言葉でとらえた瞬間として感激しました。
で、そのお孫さんの登場でした。

次郎について「何かをなしたというより、何にもしていない。吉田茂 さんがいなければ、こういう形での表舞台はなかった」というような意味の発言。「本人は一切語らず、墓場まで持っていけばよいと文書もすべて焼き捨てたので・・・」「 小林秀雄白洲正子は本人が本を書いて沢山残していますので、それで解りますが・・・」
徹子さんが「次郎は占領軍が唯一従えられない人物って・・・」と水を向けますと、「英国流の英語が話せたので、二流の米語しか話せない占領軍のアメリカ人が…くらいのプライドを示したんではないでしょうか」と。そうか、キングズイングリッシュとヤンキー英語では、お話しにならないですね、確かに。

ブログに白洲次郎を書いた昨日の今日で面白かったです。