「いま中国人は何を考えているのか」

ヨーガで一緒のHさん、以前にも新書の本を何回か貸して下さったことがあります。
自分では絶対買わない本、読まない本、たとえば小沢一郎著「日本改造計画」や 辛淑玉・野中弘務共著「差別と日本人」という政治家の本を初めて読んだのも、ヨーガが終わって着替えを終えた頃に、「読むぅ〜?」と言いながら本を渡してくださるので、「いいのぉ〜?」と応じながら貸してもらったからです。
今度のこの本も、4月の中ごろ、サンプラの和室の2階への移転工事で、メープルホールの和室を使用していた頃に、同じように、「読む〜?」と言われて渡されたものです。別の本を読み出していたので、「時間がかかってもい〜い?」と言ってお借りしました。
著者の「加藤嘉一」? 目次を見て、もしや以前NHKで、”中国で一番有名な日本人”として取り上げられた人? カバーを外して帯の写真を見て、やはり、あの人だった!でした。

本書の中でも人生の4分の1を中国で過ごしたとありますので年齢は36〜39歳くらいです。著者紹介によると「英フィナンシャルタイムズ中国語版コラムニスト。北京大学研究員、慶應義塾大学SFC研究所(訪問)。北京大学国際関係学院大学院修士課程修了。年間300以上の取材を受け、200本以上のコラムを書き、100以上の講義をする。中国版ツイッター(新浪微博)フォロワー数は100万以上。著書に『中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか』『われ日本海の橋とならん』等がある。」
日中という大変な関係のなか、中国で仕事をする日本人として極めて冷静・公平・公正なバランス感覚で生きておられるのにまず感心します。
中国のことより、中国から見た日本にどうしても関心がいってしまいますが、新しい問題にも触れてあるので…出版されたのは今年の2月ということですから新しいわけです。中国の経済問題、格差の問題、民主化の問題、どれをとっても、中国は大きな変化の過程にあるということです。

「『社会主義市場経済』という政治・経済体制として、イデオロギー的に対立していた両者を結合させたモデルを公に掲げるのは中国のみであるが、筆者はそんな中国を見守りたいと思っている」「異なる体制やイズムを批判し合う時代は過ぎ去ったのではないだろうか。それよりも、他国の体制・理念から吸収出来る要素があれば、素直に認め、謙虚に学ぶ。そんなしたたかさが、各国に求められているのではないか。国際社会における「共益」を模索するプロセスを通じて「国益」を最大化していく。そんなアプローチが、今を生きる私たちに求められているのではないだろうか。」

反日デモについての考察もナルホドです。

 共産党による政権奪取は「抗日戦争における偉大なる勝利」を正当性としている。日本に対する徹底抗戦があったからこそ(イデオロギー的にはいまでもあるからこそ)、中国共産党は「合法的」に存在する。逆説的であるが、中国国内においては「日本を批判すること]=「政治的に正しい」という方程式が成立する。家庭内で、学校で、そして社会の至るところで、プロパガンダが中国人民の血液に注がれてきたのだ。大衆は自国政府が対日外交において「弱腰」になることを許さない。
 一連のデモを俯瞰しながら、ある事態を懸念していた。それは、2005年、筆者が北京でこの目で目撃した愛国無罪」が「反日無罪」に「深化」してしまうのではないか、ということだった。


 ただ、「反日」を装ったデモは本質的には中国の内政問題である。このことを一番理解しているのは中国政府自身なのだ。日本のメディアでは、「中国共産党は半日を煽り、それをカードに日本に圧力をかけようとしている」という論調が蔓延している。日ごろから中国の要人と付き合い、現地の空気を吸い、本音ベースで議論している筆者からすれば、このロジックもあまりに中国共産党を過大評価している。
 昨今の中国共産党毛沢東時代の「革命党」ではなく、正真正銘の「執政党」である。社会主義というイデオロギーは保ちつつも、市場経済で国家運営を進める「与党」なのだ。選挙という「手続き」さえ踏めば、結果を保障する必要のない民主主義とは異なり、自らのパフォーマンスをもって結果を示さなければ、政権自体が崩壊するシステムなのだ。経済が発展し、生活水準が向上しさえすれば、中国人民は沈黙し、我慢する。しかし、その前提が崩れれば、彼ら・彼女らは暴れる権利を授かる。
 

 中国を中央集権国家と認識する時代はとうに過ぎ去った

ところで、一番グサッときたのは「日本の首相がころころ替わるのはなぜ?」のところで引用されていた白洲次郎の言葉です。
白洲次郎の随筆集「プリンシプルのない日本」からの引用だそうです(P223〜224)。
「私が政府であるならば、私は国民に言うだろう。安保を廃止して自分のふところ勘定で防備をすれば、いくらかかる。この費用は当然国民の税金からでてくるのだから。国民の所得税は00パーセント増加、物品税は00パーセント増加、云々と。なぜもっと具体的に数字で、というより、自分で防備をやったらいくら税金が増えると国民に説明しないのか。税金が増えて、我々の生活がいまよりぐっと苦しくなっても、なお外国の軍隊を国内に駐留さすよりもいいというのが国民の総意なら、安保など解消すべし。安保の賛成派も反対派もヒステリー女の喧嘩みたいな議論はやめるべしと私は思う」
「1969年9月」と書いてありますので、70年安保の前年。自動延長で国内で安保論議が盛り上がらずの時期です。白洲次郎GHQ憲法草案に関わった日本人でした。神戸で白洲次郎展に行った時、「今にみていろ」と書いた実物を見ていますので、日本の自立を望んでいたと思います。(蛙ブログ09年2月「白洲次郎・正子展」)
先送り、経済優先できた政治のツケが今まわってきているようです。どこかで…じゃなく、今、考えるときですね。
原発事故処理や、被災地の復興、避難されている方たちの賠償のためにどれくらいかかるかわからないこの時期に、野田総理アメリカのアジア戦略に勝手に乗っかるような返事をしたり超高額なステルス戦闘機(1機なんと190億円!)を買うことを了承してくるなどということは、全く逆向きの動きに思えますが、「国民の総意」は?
小出裕章氏のニューヨーク講演を現地で聞いた感想を書いているブログを見つけました。
セシウムの分布図では、日本の西部よりアメリカ西海岸の方が汚染されているフランス機関の地図が掲載されています。また日本の放射能汚染図で小出さんが仕事場にされている放射線管理区域と同じ線量を示す分布図も私は初めて見ました。日本であまり見たことがないような気がするのですが・・・
コチラのブログ「常常日記」さん5月4日:http://ameblo.jp/yagyuhyogonosuke/entry-11241210491.html