「パン・ヨーロッパ構想とミツコ」

NHKのドラマ「白洲次郎」のなかで「白洲正子が師と仰いだ審美の天才、青山二郎」を市川亀次郎さんが演じていました。
その「青山二郎の祖父の兄弟の娘」があの青山光子だという記事があり、そのコラムがとっても興味深く、切り抜いて手元に持っています。今日のタイトルはその記事のものです。
「明日への話題」(日経10月2日夕刊)というそのコラムの書き手は小泉英明という方で、肩書は日立製作所フェローとなっています。書きだしは氏の家の近くに青山家の墓所があって…というお話です。

私が青山光子の存在を知ったのは随分前のNHKドキュメンタリードラマで、光子は吉永小百合が演じていました。
明治の女性がオーストリアの貴族と結婚して、外国で暮らし、夫亡き後も立派に家を守り、7人の遺児を育て、日本に戻ることなく生涯を終えるが、その息子が欧州連合の元となる考えを発表したという。その数奇な運命に驚くとともに、その存在を知らなかったことにも一寸驚きました。
子どもの頃に「偉人伝」か何か(教科書でも)で教えられてもよい人物だと思いました。

要領よく紹介されているので、このコラムから引用してみます

・・・我が家の近くに青山家の墓所がある。 多角形の大きな墓が青山喜八氏。 その娘こそ光子、すなわちクーデンホーフ・ミツコである。 路面が凍結した明治の冬、光子の家(骨董屋)の前で、来日した伯爵が落馬。 介抱した出会いが縁で結婚した。 凛とした残り香の「ミツコ」(香水)にも通じる。

 伯爵夫人として欧州社交界に活躍したミツコには、東洋と西洋を結ぶ子供たちがいた。 東京生まれの次男・英次郎は「パン・ヨーロッパ」を記したリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵その人である。 ナチが台頭した際、苦労して旅券を入手。 リスボンから米国へと亡命して国際的な活動を続けた(この脱出行が、映画「カサブランカ」のモデル)。
 そのパン・ヨーロッパ運動は、現在の欧州連合へと繋がった。 かつて、この思想に共鳴したのが鹿島守之助と鳩山一郎の両氏。 それぞれ伯爵の著作類を翻訳出版。 「フラタニティ」(民族を超えた絆「友愛」、あるいはフランス革命の「博愛」)の重要性を説くことになる。
 日本が敵国となった際には、最愛の息子を前線に送り、また、日本に帰ることなく逝ったクーデンホーフ・ミツコ。 しかし、心の奥で愛した祖国日本の文化や思想は、深く子どもたちに刻み込まれて、東洋と西洋が融合した。 ミツコの激しい想いは、友愛思想に命を賭した栄次郎=リヒャルトに結晶したと私は推察している。

東京生まれで日本名を持つ次男リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)が、1923年(大正12年)に、第一次大戦後の新秩序として『パン・ヨーロッパ(パンというのは広域にわたるという意味で日本語の「汎」をあてる)』という書物を著わし、欧州は一つという考え方を提唱・推進し、それがのちに『ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(1952年)』、『EEC(1959年)』、そして現在の『EU』へと発展。このリヒャルトがEUの父と呼ばれ、母光子がEUの母と呼ばれることも。

クーデンホーフ光子伝 (1971年)

クーデンホーフ光子伝 (1971年)

民主党鳩山由紀夫首相が唱える「友愛」が祖父の鳩山一郎元首相の思想であるところまでは知られているところですが、遡ってリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーから青山光子まで辿れるとは思いもよらない楽しい歴史です。