新聞の切り抜きで残っているのがありますので、週末出かける前に取り上げてみます。日経の23日(土)の夕刊「シニア記者がつくるこころのページ」から日本人の精神基盤について歴史学者の上田正昭さんという方の記事です。
「日本人とは?」といって、皇室の歴史を語られるよりは、神仏習合の歴史を語られる方がスンナリ受け止められるような気がします。また海に囲まれた日本は適度に大陸から離れていたことが独自の文化や精神を育(はぐく)み培(つちか)ってきた(竹田恒靖さんの本でも同じでしたが)、それを「開かれた”島国根性”」と呼ぶのがとてもユニークです。また海は荒れれば障碍ですが、凪いだときは海路でもあり、交流の通路としての役割は今よりも遥かに大きかったようです。
それでは、見出しに沿って、内容を移してみます:
日本人の精神基盤 上田正昭さんに聞く
調和・共生・順応が底流に/ 開かれた島国根性
近著「私の日本古代史」で縄文以前から律令国家成立までの通史を1人で書き上げた歴史学者の上田正昭さんは、アジアの繋がりの中で日本を理解する大切さを訴えてきた。文献、神話、考古、民族など学問分野を超えて古代を総合的に探究してきた大家は、日本人の精神の基盤に調和と習合、共生があると見る。
「日本の歴史は列島の中だけを見ていても解りません。四方を海に囲まれた島国は武力による侵略は受けにくく、交流しやすかった。・・・・古来、日本では海を越えて人が往来し、文化や思想、宗教を受け入れ、独自の物にしてきた。島国根性と言うと排外的で閉鎖的なイメージですが、古代に置ける島国根性は外に対し開かれた精神だったと思います」
「古代の受容はおおらかでした。日本人は山川草木、あらゆるものに神が宿ると考えてきた。多神教というより汎神教です。本居宣長が古事記伝で髪の本質を書いています。神は優れ、徳があり、かしこきものですが、尊く善きものだけでなく、あしきもの、あやしきものも含んでいる、と。日本人は神をとても広範にとらえてきました」
「こういう信仰、意識があるところに百済から仏教が伝わった。日本書紀や日本霊異記には外来の神を指す言葉があります。受け入れた時から神仏習合があった。日本の宗教は神か仏か、ではなく、神も仏も、だったのです」
神社には神宮寺、寺院にも神社が建てられ、寺と神社は互いに補って共存してきた。が、明治維新後の神仏判然令などをきっかけに仏教施設や仏像が多く破壊された。
「判然令は神道と仏教の分離が目的で、仏教の排斥を意図していなかったのに廃仏毀釈運動が起きてしまった。残念なことです。日本には宗教間の論争や権力者による宗教弾圧はあっても宗教戦争はなかった。対決ではなく対論で解決をはかってきたのです」大和魂とは、優れた養や判断力を持つこと
日本の精神文化の象徴として上田さんは七福神や風呂敷をあげる。七福神信仰は室町時代に商工業者の間に広まった日本独自の信仰だ。
「七福神を構成する神様のうち、えびすは日本由来ですが、毘沙門天、弁財天はインド起源の神様。大黒天はインド由来の神と日本の大黒様が習合したもので、福禄寿と寿老人は道教の神様、布袋は中国の和尚です。この神様たちを一緒に宝船に乗せて、福の神としてあがめてしまう。実におおらかな精神です」ただ、何でも受容したわけではない。儒教は入れたが、孟子の革命思想は入れなかった。宦官や科挙の精度もとりいれてません。なんでも入れるように見えながら、取捨選択している。広げた風呂敷をむすぶようなものです」
歴史や文化の研究では言葉が概念を規定するケースがある。上田さんは研究をもとに誤解や偏見を生む概念の問題点を指摘してきた。
「大和魂は戦前、戦中には軍国主義的な、男の勇猛な精神を指していたと思います。しかし、大和魂という言葉をいち早く使ったのは紫式部でした。源氏物語の乙女の巻には漢才(からざえ)、当時の中国の学問を学んでこそ大和魂は重んじられるという表現がある。ここで言う大和魂とはすぐれた教養や判断力です。時代によって意味が変わる言葉がありますが、明治から戦中にかけ、古代とは随分違う日本人の精神が言いはやされたのです」
「古代に中国大陸や朝鮮半島から日本にわたってきた人々の呼び名は以前、帰化人が主流でしたが、私は渡来人の呼称を提唱しました。『あれは上田の造語や』などと批判も受けましたが、教科書の記述や歴史学会の用語の今の主流は渡来人になってます」大学で教える傍ら、京都府亀岡市にある和銅元年(708年)総研の小幡神社の宮司も務めてきた。今も現役だ。
「日本人の精神性で欧米と違いを感じるのは自然と向き合う姿勢です。自然と対決するのではなく、調和し、順応してきた。人間相手でも共存する手法を取っています。古事記や日本書紀の神話には、武力ではなく、言葉で服属を誓わせ、平定する国譲りの記述があります。戦にしても、戦いぬくのではなく、城を明け渡させることがありました。江戸城明け渡しがまさにこれに当ります」
「国と国が対峙すると譲れなくなる。国譲りや城の明け渡しがない現代、対決を避けるには民間交流を盛んにすることが必要です。1974年に京都市の使節団の一員として中国を初めて訪問した際、民間交流の意義を実感しました。その際に言い出した民際という言葉はその後よく使われるようになりましたね」
「日本人論や文化論ではルーツに興味が集まりますが、ルートのも関心を持ってほしい。どこを通り、どのように形成されていったのか。そこに注目すれば、海を隔てた交流に目が向くはずです。日本が主導し太平洋・島サミットを開いていますが、関心が高いとは言えず、残念です」
「日本人の精神には共生の思想があります。江戸時代に広まった心学の開祖、石田梅岩は『先も立ち、我も立つ』と、利を共にする思想を説きました。当時軽んじられていた商業に道徳的な根拠を与え、女性にも門戸を開き教えるなど解明的で先進的な思想でした。日本人には『おかげさま』という感謝の心もあります。直接何かしてくれたわけでもない相手に感謝する。これも素晴らしい文化です。
歴史を学ぶ意義は、過去に学び現在を見極め、未来を展望することです。政治家、特に外交に携わる人にもっと歴史を学んでもらいたいですね」(編集委員 堀田昇吾)
◎この記事の冒頭、上田正昭さんが汎神教を説明するところで触れておられる考えは「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」という言葉で表される考えだと思います。昨年の梅原猛さんのNHKの番組<こころの時代・私にとっての「3・11」・「86歳 新たな哲学に挑む」>の中では「山川国土悉皆成仏」という言葉で紹介されていました。仏教思想だそうですが、西洋思想の対極にあって、人間も自然の一部とみる考え方ということでした。参照:蛙ブログ「梅原さん、生かされて86歳の脱原発」:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20120307/1331076480)
◎写真はブログ仲間の「流木のアーティスト」さんの作品「流木の花器台」を3方向から。日曜日お客さんがあり、花の代わりにエニシダの苗を買って飾りました。一番下の花は並んで咲ている白いアネモネ。
PS:(人物紹介を忘れていました)
うえだ・まさあき 歴史学者、京都大学名誉教授。
1927年生まれ。京都大卒。専門は古代史、神話学。
世界人権問題研究センター理事長や高麗美術館長、島根県立古代出雲歴史博物館名誉館長も務める。
著書に「上田正昭著作集)(全8巻)など。
京都市文化功労賞や福岡アジア文化賞などを受賞。