国家権力と日本のジャーナリズム

二本ある我が家の椿、赤白絞りの椿も一輪咲いています。


前回、紹介した「週刊朝日」で上杉隆という記者がとりあげた「事件」、石川議員(民主党離党の意向とか)の女性秘書「監禁」の話がなぜテレビで報道されないのか、不思議でしたが、そのことについて上杉氏ご本人が書いておられるのを見つけましたので、コピーしてみます。
「ワイドショーが飛びつきそうなネタなのに一文字も一秒も報じていない。それは・・・・」という日本のジャーナリズムの特殊性についてジャーナリストからの告発です。こういう事実を発信している人たちがいる限り、望めば、そういう事実を知ることも出来る時代になっています。

[女性秘書監禁事件」を新聞・テレビは一切報じず 
 筆者は、「週刊朝日」誌上で、3週にわたって、何の罪もない女性秘書の母親が、検事による違法な取調べを受けて、保育園の迎えにさえいけなかったという卑劣な検察の行為を書いた。

 ところが、この検察の犯罪行為を記者クラブメディアは一文字も一秒も報じていない。幼い子供を持つ母親への卑劣な行いだけで、普段ならばワイドショーが飛びつきそうなネタであるのにそれはなぜか。

 それは、検察批判がすなわち「共犯関係」にある記者クラブ自己批判につながるからだ。ついでに言えば、その報道によって、11年前から記者クラブ批判を繰り返している筆者の存在を知らせることにもなり、結果、自らの首を絞めることになることもあるのだろう。

 つまり、この「女性秘書監禁事件」はこの世に存在しないことになっているのである。してしまえばいいのだ。


 国家権力の驕りとそれを支えるマスコミの同業者に対して、本来のジャーナリズムはどう立ち向かえばいいのか。

 世界中のジャーナリストたちには、不健全な国家権力と戦ってきた歴史がある。先進国でも、発展途上国でもそれは変わらない。

 たとえばロシアでは、過去5年間で100人以上のジャーナリストが、国家権力によると思われる「暗殺」によって命を落としている(「国境なき記者団」調べ)。

 世界中のジャーナリズムが、国家権力の横暴に立ち向かってきた中、日本の新聞・テレビなどで構成される記者クラブだけは、一切、この種の権力報道を行ったことがない。


 この3週間、筆者の報じた検察による女性秘書への「違法捜査」は、多くの記者たちの知るところになっているにもかかわらず、繰り返すが、ただの一文字も一秒も報じられていないのだ。

 記者クラブには国民の側ではなく、国家権力である検察側に寄り添う習慣が染み付いている。

 世界中のジャーナリストたちが捜査権を伴った国家権力との戦いによって、命を落とす中、日本の記者クラブ記者だけは「出入り禁止になるかもしれない」という信じがたい理由だけで、「真実」から逃げている。

 国家権力と寄り添った報道は、大本営発表と同様、国家と国民を不幸の淵に連れて行く。

 それは誰より、日本の新聞記者たちが一番知っていることではないのだろうか。   
                           引用元: http://diamond.jp/series/uesugi/10113/?page=4

色んな分野で日本人の資質・品格・勇気が試されていますね。