日本史の話題(7世紀と19世紀)三つと歴史の教科書

日経18日の朝刊から:
<17日(水曜日)、国内最古の寺院、飛鳥寺奈良県明日香村、6世紀末)後の周辺を調査中の明日香村教育委員会は、
旧境内の西南で7世紀ごろの石敷き遺構の一部を見つけたと発表した。日本書紀によると同寺の西側には槻(つき=ケヤキ)の木があり、
644年、蹴鞠をしていた中大兄皇子中臣鎌足とであった場所とされる。
同村教委は「遺構が槻の広場と一部と確認するため、調査を続けたい」としている。>
      
今朝の日経朝刊の記事から:
飛鳥時代の大豪族が邸宅を構えたとされる奈良県明日香村の甘樫の丘(あまかしのおか)を調査中の奈良文化財研究所は18日、
丘陵東側の中腹に7世紀の塀跡を発見したと発表。丘陵の裾を急傾斜に造成した痕跡もあり、同研究所は「防御用の塀ではないか。
丘陵の上にも何らかの使節があった可能性が高い」とみている。
日本書紀には蘇我蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)親子が644年「甘樫丘に城柵を巡らせ、武器庫を築いた」との記述がある。>
同じく日経18日の夕刊より:
<幕末に勝海舟福沢諭吉らを乗せて太平洋を横断した軍艦「咸臨丸」が、米国に到着してから丸150年に当たる17日、
入港地のサンフランシスコ港に記念の名盤が設置され、長嶺安政サンフランシスコ総領事や地元日系人、港湾関係者ら100人以上が
出席して式典が開かれた。名盤設置は地元の日系人団体などで組織する実行委員会が企画、サンフランシスコ港の協力を得て実現。
150年前に咸臨丸が着いた地点近くの桟橋前の路上に埋め込まれた。
サンフランシスコ市のニューソン市長は「3月17日を『咸臨丸の日』としたい」とのメッセージを式典に寄せた。
咸臨丸は1860年年2月、日米修好通商条約のため渡米する江戸幕府使節護衛艦として日本を出発し、サンフランシスコに入港した。(共同)>

もういちど読む山川日本史

もういちど読む山川日本史

まだ見えぬ過去も未知という点では未来と同じ、知りたいと思うのは人間の常。
こういうときに役立つかも…と最近評判になっているという大人の教科書を今年になって私も買い求めました。
コレで6、7世紀と咸臨丸を早速調べてみようと思っています。