「愛国心について」

内田樹の研究室」を覘いているうちにColumnsという過去のリストの中に「愛国心について」(1999年4月)というのを見つけて読んでみました。http://www.tatsuru.com/columns/simple/08.html
ちょっとしたショックを受けました。加藤典洋氏の「敗戦後論」を引用してあったのですが、う〜〜〜んと感心してしまいました。
敗戦後論」は戦後の日本の二つの考え方、憲法改正して自主憲法をという改憲派も、9条死守という護憲派も敗戦を境にしたネジレを自覚していない同根の異相で、一方はもう一方を前提としてはじめて存在できるジキルとハイド、人格が分裂した二重人格、という風に論じていたと思います。
私はその頃どうして同じ戦争体験をした日本人が戦争を巡ってこうも対立した考え方になるのか、もどかしい思いをしていました。同じ体験をしても反省の仕方が違えば導き出される教訓は全く別物というのは人生経験からも言えることでしたので、日本人は何時までたっても歴史観と戦争の教訓で一致できないと残念にも思い、早く人格統合されなければと思ったりしていました。(ちくま文庫にもあり)

敗戦後論

敗戦後論

ネジレについて「敗戦後論」では天皇が戦争責任をとらなかったことからきていると書いてあったと思います(手元に本がなく確かめられませんが)。井上ひさしさんが「夢の痂(かさぶた)」で人間宣言をした天皇陛下が全国を巡幸された際、登場人物に言わせた「天子さまがご責任をお取りあそばされたら、下の者もそれぞれの立場でそれぞれの責任について考えるようになります。」「すまぬと仰せられましたひと言が国民のこれからの芯棒となります。」がこれに重なります。
内田先生の捕らえ方はいつも一寸違っていて、「それで(ねじれていて)、いいのだ〜」式です。


内田先生は県教育委員会の職務命令で、卒業式、入学式での「君が代」斉唱と「日の丸」掲揚の完全実施を求められた広島県の高校校長が、反対する教職員組合との板挟みに苦しんで自殺するという痛ましい事件について、「私はこの校長の死に方に「国」というものに対する現代日本人の典型的な反応を見る。この校長の決着のつけかたを責める人や嘲弄する人がいるかもしれないが、私はそういう気分にはなれない。おそらくこの校長はこれまで国歌や国旗の問題について、一度も決定的な態度をとることなくやり過ごしてきた人なのだと思う。」と書いてこの事件について以下のように述べています。

全員が力一杯「日の丸」に向かって「君が代」を斉唱するような場では、おとなしく立ち上がって小声で唱和し、オリンピックで「日の丸」が上がれば、にこにこ笑い、組合が「国歌、国旗の完全実施は軍国主義の復活の予兆だ」といきまけば、そういう考え方もできるわなとうなずいてしまう、そういう「どっちつかずの人」だったのだと思う。
しかし、この「どっちつかず」こそ、日本人の大半にとっては本音のところではなかったのか
「国歌国旗という認識が実質的には定着しているのだから、わざわざ法制化しなくても・・・」という歴代内閣のあいまいな態度は、日本国民の「国家」に対するあいまいな態度を正直に映し出していると私は思う。
「国民は自分の国に愛着をもつのが自然だし、自分は現に日本を愛している。けれども『愛国の心をかたちに示せ』と行政に強制されるのは、ぜったいいやだ」と私は思っている。自殺した校長もおそらくそれに近い考え方をした人なのだろう

国旗、国歌の問題について、自称「自由主義保守主義者」の佐藤優氏は、「国家と神とマルクス」の中で「私は、日の丸、君が代は日本国家のシンボルとして大いに結構と考えます。故に法制化には絶対反対です。なぜなら、法律で決められるものは法律で変えられるからです。」として、「国旗」「国歌」は日本の伝統に属する文化の問題で、法制化するという発想自体が間違っていると書いています。佐藤氏の信念は「絶対的なものはある、ただし、それは複数ある」です。小泉政権当時、国家の暴力を自ら体験してこられた佐藤氏の言説には説得力があると一目置いています。(角川文庫にもあり)

国家と神とマルクス―「自由主義的保守主義者」かく語りき

国家と神とマルクス―「自由主義的保守主義者」かく語りき


寄り道になってしまいました。内田先生と「敗戦後論」、「国歌・国旗」に戻ります。

国家にすりよる改憲派と国家をつきはなす護憲派をともに批判して、加藤はこう書いている。「この二種の言説は、一つの点で、本質的な共通性をもっている。改憲による自主憲法制定論、護憲による平和原則堅持論は、ともに彼らのめざす理想が、そのまま実現しうるとみなしている点、相似であり、(…)どこか精神の双生児を思わせる、潔白な信念への信従が、共通しているのである。そこにないのは、一言で言えば、やはり『ねじれ』の感覚である。」


この言葉はそのまま広島の県教委と県教組の言説にもにあてはまると私は思う。
県教委は中高生の国家に対する愛情や忠誠が一通の「職務命令」で涵養しうると考えている。(ばかである。)県教組は象徴を通じて国民的なまとまりを作り上げること、それ自体を「悪」だと思っている。(ばかである。)
県教委と県教組は加藤の言葉を借りれば、「精神の双生児」である。
県教委は「国旗国歌が尊ばれる単一文化・単一民族国民国家」という空しい夢を暖めており、県教組は「上からの国家的統合を退け、多様な文化・多様な民族集団との共存の上に建設される理想国家」という空しい夢を育んでいる。だが、このふたつの夢は、同じ単純な精神から生まれた幻想のふたつの変奏曲に他ならない。国家と国民の関係は「すっきりとした一義的なもの」でありうるし、あらなければならない、というふうに考えるところでこの二つの言説はすでに「双生児」であり、すでにつまずいている。


国家と国民の関係は「ねじれ」ていて当たり前なのである。国歌や国旗に対しては「愛着と反感」を「誇りと恥」を同時に感じてしまうというのが近代国家の国民の自然な実感なのである。それはそのヴェトナム戦争を経験したアメリカ人、スターリン主義を経験したロシア人、ヴィシー政権を経験したフランス人、ナチズムを経験したドイツ人、文化大革命を経験した中国人・・・どの国民でもみな同じである。国家の名においておかされた愚行と蛮行の数々。それと同時に国家の名において果たされた人間的偉業の数々。両方を同時にみつめようとしたら、私たちの気持は「ねじくれて」しまって当然なのである。それをどちらかに片づけろというのは、言う方が無理である。


先日、合気道の全国学生大会を見学に行った。開会式の次第に「国歌斉唱」とあった。司会者が「それでは国歌斉唱です」というと、会場中の数百人が素直に立ち上がって国旗に向かった。しかし「君が代」を声に出して歌うものは来賓を含めて数名しかいなかった。しん、と静まり返った体育館の中に小さな声とテープの伴奏音だけが響いていた。
私はこの風景には現代日本人の実感がみごとに表現されていると思う。
その場には、みっともないから「みな、大声で歌え」と怒鳴るものも、どうせ歌わないのだから「国歌斉唱なんかやめてしまえ」というものもいなかった。全員が「どっちつかず」の気まずさを静かに共有していた。



国家の象徴を前にしたときのこの「気まずさ」、この「いたたまれなさ」が私たちの国家とのかかわりの偽らざる実感なのである。ならば、そのような実感に言葉を与え、市民権を与え、それを国家への態度の基本として鍛え上げてゆくことがいま私たちに課されている思想的な仕事ではないのか。

私たち世代なら誰しも記憶している旗日の日の丸、それがいつの間にか掲げなくなるのが当り前になり、掲げる事は政治的になにかを主張しているようにとられるのではないかという警戒心を自然に持つようにもなってしまっている今。その実感にこそ戦後の日本の戸惑いの歴史があり、それは日本だけにあるものではなく、国民国家の名で為された戦争という愚行や蛮行を体験した国民に共通する思いであるというのが内田先生の考えです。
その実感こそが大切で、日本人として共有できる出発点なのだと気づかされました。
護憲派改憲派も、「保守」も「革新」も、与党も野党も、相手の言い分と論理をまずは大きな度量で受容し(絶対は複数ある!)、議論を戦わせて、相互にレベルアップできる大人の日本人になって欲しいです、と政治家に望むだけでなく、私たち市民レベルでも言えることですが。
強制されなくてもW杯のサッカー競技場で日本代表を応援する日の丸は当り前に振られます。それが文化です。