井上ひさしさんの「遺したことば」

選挙結果が出ました。民主党議席は大幅に減らしましたが得票数では一位。<批判と期待(我慢)が現れています>
一人区では自民が21:民主8、で逆転。一本指は一番ではなくて「一から出直しの一」と今朝のテレビで河野太郎さんが。
「民主のオウンゴール?」という問いかけに「はい、ボールに触らせてもらっていないうちに・・・」と正直でした。
みんなの党の渡辺善美さんはブレナイ党で「アジェンダ」(日本語で言ってほしい!)に「この指たかれ」でいくと強気。
ネジレ国会で同じ事が繰り返されるようでは本当に日本はダメになってしまいます。
安定には程遠く、これからも混沌と混迷がしばらくは続きそうです。
与党も野党も一段レベルを上げて「民意」に応えてほしいものです。 消しゴムの果物
(W杯優勝はタコの予言どおりスペイン! でした。録画したのをまだ見ていません)


さて、父が月遅れで渡してくれる「文藝春秋」誌の7月号に「井上ひさし『絶筆ノート』全文掲載」と題する記事がありました。
発病は昨年の10月19日、小林多喜二を題材にした舞台「組曲虐殺」(天王州・銀河劇場)のあとの会食後に、息苦しくなり、「『死』を決意した数秒間」という書き出しから始まる肺がん闘病記は10日ほどで終わっています。残りは妻である井上ユリさんが「ひさしさんが遺したことば」と題して手記を発表されています。この奥様のユリさんは、名エッセイストだった亡き米原真理さんの妹さんです。
井上ひさしさんご本人のノートの最後のページのことばより:

過去は泣きつづけているーーーー
たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。


過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる


いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる


過去は訴えつづけている


東京裁判は、不都合な者はすべて被告人に押しつけて、
お上と国民が一緒になって無罪地帯へ逃走するための儀式だった。


先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる

瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石

これが書かれた11月初めから半年ほどの闘病で亡くなられたのですが、それまでを井上ユリさんが書いておられます。
「今年書いた『ムサシ』と『組曲虐殺』も、良い出来だった。この二つが最後なら満足だよ」と言っておられたのですが、入院中も資料を取り寄せて読み込み「やっぱり沖縄が書きたい。悔しい」と何度も口にされていたとか。「ムサシ」は井上氏念願のアメリカ公演が大成功と伝えられました。復讐の連鎖を断ち切ろうというメッセージがアメリカ人の観客にも伝わったことでしょう。
広島を舞台にした「父と暮らせば」と対になるような、長崎を舞台にした作品にも執着があり、「最後まで沖縄と長崎を残しちゃったなあ」とつぶやいておられたそうです。
治療開始の頃はあと1,2年は生きられると信じて「残りの時間で、自分が子供のころの話や親の話を書くかな」とも仰っていて、「やり残したと感じている事が山ほどあったはずです」と書いておられます。

沖縄、長崎を舞台にした井上作品が生まれていれば私たち日本人の宝となったでしょうに…本当に残念です。
同じく肺がんで62才のつかこうへいさんが亡くなっていたとも。淋しいですね〜。生きていることは奇蹟です。