民主党代表戦

 百日草:唐池公園へ通じる道の3坪ほどの畑に生き生きと
とうとう菅さんと小沢さんの一騎打ちになってしまいました。

避けられればいいのにと思っていましたが、残念な事です。首相の顔がコロコロ変わって大丈夫?という話もありますが、私は安倍晋三首相の時と麻生さんの時には、お二人が首相の座に居続けるよりは変わったほうが日本の為と思ったこともありましたので、コロコロも状況次第では仕方がない。ここまできてはイッソノコトはっきりするしかないかな〜と思ったりしています。
先日、小沢さんが代表戦に出ることが決まった日のニュースステーションで解説員とのやり取りを聞いていて、やはり・・・と思ったことがあります。
「政治と金」の問題で小沢氏があたかも有罪という前提で話が進められていることです。
私は、かつて鈴木宗男氏の問題で国会でのやり取りを聞きながら、マスコミの論調を真に受けて、怪しい、やっているに違いない、という先入観で「ムネオハウス」の話も聞いていました。追及している人がカッコ良く見えて、鈴木氏がいかにも悪党面に見えてきました。その後、佐藤優氏の「獄中記」を読んで反省しました。自分の感情がいかにマスコミやメディアによって支配されていたかを知って愕然としました。「戦争中なら真っ先に大本営発表を鵜呑みにし撃ちてし止まんの優秀な軍国少女になっていただろう」という私の予想は当たっていました。その後は、同じ過ちは繰り返したくない、自分で確信できることしか信じないと肝に銘じて政治を見ようと努めてきました。
今回の菅対小沢の代表戦で、相手側の批判が色々なされるでしょうが、少なくとも渡部恒三氏やその他閣僚の方たちまでが、小沢氏が起訴されているからとか黒い噂が絶えないからという憶測を前提にマスコミに向けて意見を発信されることは間違いではないかと思います。
同じ立場に立ったことのある鈴木宗男氏の言葉がありますが、こういう理性的な考え方に立ち戻って、正々堂々代表戦を闘って欲しいと思います。

1週間前の発言(日記)で事態が進んでしまっていますが、基本は変わらないと思って引用しました。(http://www.muneo.gr.jp/html/flash_index.html

2010年8月21日(土) 鈴 木 宗 男

 民主党の代表選挙に向け、各閣僚がそれぞれ発言しているが、誰のおかげで閣僚になれたのかわかっていない人が多い。
 昨年8月30日の総選挙で国民が政権交代をさせてくれたのである。鳩山―小沢体制で選挙に勝ち、民主党政権になったのだ。
 岡田外相は昨日の記者会見で「起訴される可能性がある方が代表あるいは首相になることに私自身は違和感を感じている」と述べているが、これは民主主義を否定する話である。
 もし起訴されても法律によって、裁判によって最終判断が出るまで「推定無罪」である。小沢さんは「何もやましい事はしていない。法に触れる事はしていない。ゼネコンから不正な献金は貰っていない。」と常々述べている。検察は小沢さんを調べた結果、事件に出来なかったのである。
 検察のリークによる当時の権力者による間違った情報操作で昨年3月事件がつくられたのである。その半年後に政権交代となったのである。民主党という同じ政党にいるなら、検察のやりすぎ、権力の行使を批判すべきであって、小沢さんの言葉を信じるのが人としての当然の道ではないか。
 平成17年9月11日の総選挙で当時民主党代表で選挙の指揮をとり大惨敗したのは岡田さんではなかったか。
 過去の反省もせず批判の為の批判であっては「心」がなさすぎる。
 それよりも外務大臣としての職責を国益の観点からしっかりやって頂きたい。
 「今、日本の外交は袋小路に入り国際社会の中で孤立し始めているのではないか」と多くの識者が指摘している。「1年に3人も首相が代わるのはおかしい。それならば解散総選挙が筋だ」という閣僚もいるが国益にかなわない日本国家に取ってプラスにならない指導者ならば逆にその地位に留(とど)まっている事は国民をあざむき、日本国をダメにしてしまうのである。
 怨念(おんねん)だとか自分の好き嫌いで人を判断するのではなくこの日本にとって今、何が必要か国益を踏まえての発言をして頂きたい。
 最初に「自分は菅首相を支持する」と鮮明にしておきながら議論もない段階で、しかも小沢さんが何も言っていない状況で、小沢さんを批判するのはどう考えてもフェアではない。
 読者の皆さんはいかがお考えだろうか。

内容は岡田さん相手に書かれているようですが、小沢(的なるもの)を排除する事こそ政権交代の意味だと勘違いされている方たちへの言葉だと思います。こういう考えは去年の8月の選挙の意味を大きく取り違える事になると思います。
「小沢(的なるものの)排除」にはマスコミがこぞって期待していますので一見「民意」のポーズを見せていますが、もともと検察のやりすぎと検察のリークを無批判に流し続けてきたマスコミが自己完結したいだけの話ですので、騙されてはいけないのです。(と言い聞かせつつ…)
今、最も大事なのは、戦後初めて選挙で成し遂げた政権交代を後戻りさせない方向、どんなに抵抗があっても、巻き返しがあっても、不退転の気概で官僚支配を脱して、政治主導でこの国を変えていく事。そのことを本当に遣ってくれる政治家、リーダーを代表に選んでくれることです。
それは、菅さんなのか、小沢さんなのか? そのうえで、何が、小沢的なるものなのか? 小沢さんが変わるべきところがあるとすればどこなのか? であって、最重要課題についての適性判断を抜きにして、小沢憎しや小沢嫌いの感情むき出しの政治評論家やコメンテーターや有識者の小沢非難に対してはキッチリ拒否できるようになりたいものです。 
どちらが勝っても国政は大変、国難の時です。しかし、それは何十年来のツケが回ってきているので、その克服が1,2年で出来るとは誰も思っていません。誰であろうとどの党であろうと、責任ある立場に立たされた者がガムシャラに遣って、何年か経って振り返ったときに分かる事。ここ数年、あるいは5年、10年の混迷は覚悟の上、と言わざるを得ないのでは? 
そういう意味でも政治に期待しないわけにはいかないですね。