新しい大阪駅周辺と「我慢の芸術」

昨日は午後から梅田の第3ビルにある「好日山荘」で山関係の買い物をする夫に付き合って久しぶりに車で大阪の都心へ。
新御堂から梅新へ出る辺りのイチョウ並木はまだまだ色づいていません。しばらく走っているうちに大阪駅辺りに出てビックリ。
少し前、新聞やテレビで取上げられていた大阪駅の大屋根とビルが見えます。正面は駅の反対側にある「ヨドバシ」のビルです。
長年工事中で覆われていたのが今日はスッキリと新しい大阪駅周辺が初めて見えました。田舎の主婦の感想です。
 
左手の阪神百貨店に通じる歩道橋、写真左に大屋根の一部と新駅ビル? その向う白い縦縞ビルはヨドバシ、右端に阪急百貨店。

昨日のNHKクローズアップ現代は「我慢の芸術」。
何のこと?と思っていたら、アメリカのスミソニアン博物館での「The Art of GAMAN」展について。
それでも、何のこと? と思っていると「我慢の芸術」のタイトルの下に「尊厳の芸術」とあります。
ますます解らないと思っていたら、日系アメリカ人2世、3世が持っている強制収用所時代に父母たちが作った作品展ということでした。
それが今頃、なぜ、ということが解りました。

丁度民放で五夜連続の橋田寿賀子脚本のアメリカ移民の99年のドラマがありました。日本人が強制収容所送りになったり、アメリカ兵となってヨーロッパ戦線に出かけたり、苦労する話でしたが、余りに長時間だったので見る元気は無く、ただ気になりますのでちょこちょこ覘いていました。そのドラマに重なる内容でもありました。

1941年12月の真珠湾攻撃アメリカは、日本人と連絡を取って破壊工作をするのではと恐れて12万人の日本人を全米10箇所の収容所に入れました。多くは砂漠の中に。収容所の中でも日本人たちは未来を諦めず、日用品の手づくりから始めて、多数の工芸品を作った。収容された日本人には番号が付けられ、番号で呼ばれた。それに対して表札を手づくりして掲げ抵抗を示した。小畑さんは砂漠の枯れ木に手を加えて芸術品に仕上げた。歯科医の西さんにはお礼の手づくり杖がたくさん届いた。我慢の芸術は、とにかく前を向いて進む、決して諦めない人たちの作品だ。


日系3世のパット・ナカムラさんの両親は結婚直後に収容所に送られた。両親は収容所は楽しい所だという話しかしなかったので、私も入りたいと思っていた。貝殻で作ったブローチ類の作品は両親亡き後、ガレージで見つけた。生きているうちに何故こんな美しい作品を見せようとしなかったのか理由を知りたいと、トゥールイ収容所跡地を訪れた。そこはアメリカへの忠誠を拒否した1万人の日系人の収容所として有名。こんな砂漠の真ん中で、貝殻の入手先は? 地面を掘ってやっと手に入れることが出来るものだった。ナカムラさんは、思わず涙を流す。この美しいブローチも母にとっては辛い思い出のひとつだったのだ。 ゲストは脚本家の山田太一氏。
耐え忍ぶ、弁解しない、我慢の結晶。それを並べて展示したのは、切っ掛けが日系人だとしても、アメリカ人。前向きな我慢、先が見えない収容所の中で、溜まりに溜まった想いの結晶がアートになった。それを見せないで、箱に仕舞ったまま亡くなった人がいる。2世、3世に我慢して見せない、子どもたちがアメリカに反感を抱かないで生きていけるように、我慢してきた、我慢の達人の作品を見せられた思い。
工芸や道具を作り出してしまう日本人の技量にも驚く。アメリカに渡るのにそんなに持って出られたわけではないだろうが、内部にあれだけのものを作り出せる豊かなものを持っていた。「メキシコ人や、現在の移民の人たちも多くの人たちが、これを見て考えさせられたと言っている。時代を超えた普遍的なメッセージも持っている」と国谷さんも。
確かに励まされます。「諦めない」、未来を信じて「我慢する」ことが大切ですね。