「閔妃(ミンビ)暗殺」を読んで

「日本の忠臣蔵みたいに韓国人なら中学生でも知っているという話をどうして日本人の私が知らないのか」が角田房子氏がこの本「閔妃(ミンピ)暗殺 朝鮮王朝末期の国母」を書く動機だったと前書きで書いておられました。1988年に、第一回新潮学芸賞を受賞しています。
文庫本のカバーから紹介文を:
「時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類まれなる才智を以って君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。
この閔妃を、日本の公使が首謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害する事件が起こった。
本書は、国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの「根源的事件」の真相を掘り起こした問題作である。」

角田房子(つのだ ふさこ・1914年12月5日 - 2010年1月1日)は、ウィキペディアによりますと、「日本の作家、日本ペンクラブ名誉会員。東京府生まれ。福岡女学校(現 福岡女学院中学校・高等学校)専攻科卒業後、ソルボンヌ大学へ留学。第二次世界大戦勃発により帰国し、戦後に夫の転勤に伴って再度渡仏。1960年代より執筆活動を開始。精力的な取材と綿密な検証に基づく歴史小説を数多く手掛ける。2010年1月1日に死去していたことが同年3月12日に公表された。95歳没。」とあり、昨年、死去の報道があり、つい最近まで生きておられたことを知って驚いたのを覚えています。
あとがきの中で書かれていますが、「私は『出来るだけ間違いの無い事実』を書こうと努力したが、それは至難のわざであった。まず私は『日本への身びいきから、自国に都合のよい一人よがりの歴史を書いてはならない』と、強く自分を戒めた。そのためには歴史上の一つ一つの事実について、日韓両国の資料をつき合わせて見なければならない・・・」
「両国関係の歴史を学ぶ間に私は何度か、『日本はこんなひどいことをしていたのか』という驚きにうたれた。この驚きと、そこから引き出される"申しわけなさ”に押されて、自分の筆が自虐的になってはいけないと、これもまた私が強く自戒したことの一つであった。」というわけで、このノンフィクションは出来るだけ冷静に、有った事をありのままに伝えて、読者の判断を待とうという努力の姿勢が見られます。そのため、資料で確かめられない場合は不明とされ、控えめに著者の推測が語られます。もどかしさもありますが、自制が利いています。閔妃と夫である高宗との関係については、「愛情があったのではないか」と女性ならではの見方も示され、同性として納得できます。
丁度、本書を書き上げるのに著者二度目の訪韓の1985年5月に、西ドイツ大統領ヴァイッツゼッカーがあの有名な「荒れ野の40年」の演説をし、その報道に接した角田氏は次の件(くだり)を繰り返し読んで勇気付けられたそうです。その一節とは:「われわれドイツ人全員が過去に対する責任を負わされている…後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはいかない…過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」。
また、(当時の肩書きによると)茨城大学名誉教授の大江志乃夫という方の「解説」(1993年6月)では:

本書が取り上げた閔妃暗殺事件は、日本の国家を代表する朝鮮駐在公使の三浦梧楼が首謀者となり、日本の軍隊・警察、暴徒としか言いようが無い民間人たちを朝鮮の王宮に乱入させ、公然とその国の王妃を殺害したという、およそ近代世界外交史上に例を見ない暴虐をはたらいた事件である。この事件はいまだに韓国人の胸にふかい傷跡をのこしているが、日本国民の大部分はこの事件についてさえまったく知識をもたなかった。
略・・・このように見てくると、教科書の執筆者だけでなく、日朝関係史に大きな関心を持つ人たちにとっても、ふつう、この事件は高校の歴史教育の対象となるとは考えていず、むしろ高校の歴史教育で要求される水準より高度の政治的事件ないしは政治的エピソードであると認識されていた。・・・
略・・・私はこのような反省にたち、この解説を執筆する前に文部省に検定を申請した1994年度から実施の新学習指導要領にもとずく教科書では、この事件についてくわしく書き「韓国の国民は現在でもこの事件を忘れていない」という説明をくわえた。まさに角田ショック、角田効果というべきか。

94年以前に教科書に書かれていなかったのは、これで当然とわかりますが、それでも日本人が知らなかった大きな理由は、日本政府がこの事件の犯人を処罰しなかったこと、「この歴然とした国際的犯罪の犯人たちの罪を問わなかったこと」と、当時の朝鮮当局が閔妃暗殺の下手人として三人の自国人を処刑したことで、”無かったこと?”に出来たからではないかと想像します。
角田氏は「もともと日本の裁判の目的は罪状の糾明ではなく、諸外国の非難攻撃をかわして、国際的大事件への発展を食い止めることであった。」と書いています。しかし、その後、「閔妃暗殺は日露戦争の引き鉄(がね)となり、張作霖爆殺事件は直接には満州事変、従って後の日中戦争からアジア・太平洋戦争へと拡大する戦争の起点となった。」(解説より)
朝鮮民族の自立はその太平洋戦争が終わった時点でかなえられますが、5年後米ソの代理戦争といわれる朝鮮戦争南北朝鮮に引き裂かれ今に繋がっています。巨大な大陸から大洋に突き出す半島の国というだけで過酷な運命を担い続けているようにも見えます。そして、日本はといえば、明治から追いつけ追い越せのあげくに戦争に次ぐ戦争、果ては2度の原爆を受けて敗戦。沖縄や千島を失い、やっと沖縄は日本に返還されるも基地だらけ・・・いまだに政治的には自立とは言いがたい状況。
平和を大切にしながら直面する国難に立ち向かう国同士、仲良くありたいものです。