月曜日の朝

<日曜日の唐池公園>

今朝は、コーヒータイムに顔を合わせた母がコーヒー飲むのもそこそこに鍼灸院へ行くというので、少しは良くなってるの?と訊ねると「ううん、段々ひどくなる」といいます。どうして私が「行かないで」と言っているのに行くのかしら、おかしいな〜と思いました。帰ってきた母の様子が本当に我慢できないほど痛そう。以前も、豊中のお医者さんが親身になって診察してくださるのにほだされて、自分のためより、お医者さんの為に、熱心に通い半年も胃薬を飲み続け、結局、胆石の発見が遅れたことを思い出しました。私たちがまだ六甲に居た頃のことですから、もう35,6年も前、母が50代の頃のことですが。
母にそのときのことを思い出してもらって、外科にかかってみた方がとすすめました。母も、思い出したか納得、夫に車を出してもらって近くの外科医へ。1時間半待ちとのこと。レントゲンの結果、背骨の一つが少しひしゃげた様になってヒビが入っているようにも見える、これが原因かもしれないので、痛み止めを飲み、湿布薬を貼って2週間ほど様子をみるということになりました。
待っている間に夫が鍼灸院まで行って連絡してくれて、院長さんも「骨かも」と納得してくださったよう。母はそのことが一番気がかりだったと。治してやりたいと一生懸命になって下さっているのに黙って通院を止める事が裏切るようで出来ないと思っていたのです。義理堅いにも程があると思いながら、「治ってから腰痛予防に行けばいいじゃない、痛みがある間は触らないほうがいいよ」と私。「今年90歳になる今まで元気で何にもなかったんだから、その方があり得ないこと。娘の私のほうが胃の手術やギックリ腰で心配かけたり世話になったりだから、今度は私に恩返しさせて」と。母は、「私はいいけど、あんた達が可哀想」!?と、適齢期を過ぎてまだ独りでいる息子に早く結婚させなさいと言います。娘夫婦の私たちが年老いた時面倒をみてくれる家族が無い事を心配してのこと。孫より娘なんですね〜息子には言えませんが、いくつになっても親心は有難い事です。
1時ごろ、帰宅、「私が美味しいホットサンドをご馳走するからウチへ来て」とお昼は我が家で4人で遅い昼食。89歳の今まで、父と二人分の食事を、買い物から始めて人任せにせずやってきたのですから、我が母ながら偉いな〜と思います。
 さて、日曜日、プールから帰ってから、しまった決勝戦、見逃した!
ラグビーの三洋とサントリーの決勝戦。結果は? 夕方のニュースでは、三洋は優勝出来なかったようです。残念。
昨夜はNHKの「日本人はなぜ戦争へと向かったか」の3回目。ジャーナリズムの責任についてでしたが、「▽過熱報道と民衆の熱狂」とあるように、私たち一般国民の問題としても考えざるを得ません。政権とマスコミが煽った結果、煽られた国民の過激な要求に応えないといけなくなる「ブーメラン」現象で自分の首を絞めることになる、その結果が戦争だった?というようなことが繰り返されてはいないでしょうか。
あの頃より、少しは見抜く力が備わってきているでしょうか? 考えてみたい問題です。