福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」

ご近所のクリーム色の彼岸花リコリスという園芸種だと思います

今朝のコーヒータイム、母が「小沢さんの秘書、有罪だったね。昔からああいうことあったんやね〜金丸さんとか自民党の・・・」と言いますので、「日経(社説でなくて本文記事)では裁判そのものにも問題あり…みたいなことも書いてあったよ」と私。母は「えっ!?」という感じでしたが、これ以上言ってはマズイと黙ってしまいました。讀賣新聞の書き方がどうだったか分りませんが、私もそれ以上は控えました。
昨夜のNHKの大越キャスターもツジツマ合わない感想?でした。「推論」が問題になりそうですね、と言いつつ、国会で本人が・・・と相変わらずのお念仏でした。紹介された江川紹子さんの「裁判官の価値観、想像で物語を語り、それをもとに組み立てていくのは非常に危惧を覚える。一方的な供述だけで事実と断言してしまうのは相当に危険」というコメントが気がかりです。その時の大越さんか、あるいはどの局のどなたか忘れましたが、「国民感情に沿った判決」とかのコメント。この方の意に反して、これが裁判の内容をいみじくも言い当てているようです。「国民感情」がまるで原発安全神話のようにマスコミこぞっての一大キャンペーンで作り出されたものであったとしても、明らかに感情に基づいた裁判であり、”魔女裁判”という批判があるのも頷けます。

また、藪中という外務官僚が2009年のオバマ大統領の広島訪問に対して、「時期尚早」、”反核の希望の星になっては困るのでは”という意味のことを密かに進言していたということがウィキリークスの文書から分ったとか。ありそうなことだとは思っていても、本当だったというのが明らかになったのは良かったと思います。この国の官僚が、本当は、どっちを向いて働いているのかが良くわかります。
そういう官僚機構を本気で変えようとすると、どれほどの抵抗と闘わなければならないか、ということも良くわかります。小沢問題は、小沢さんの政治手法が気に入らないとかに関係なく、官僚を敵に回せば(官僚の気に入らない改革を本気でしようとすると)どういうことになるかを表していると思いますし、また、官僚側の”ただではおかない”という意志の表れでもある問題だと思います。司法のこういう一方的で乱暴なやり方は本当にアブナイです。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

さて、一月ほど前(もっと前だった?)のことだったか、高知のSさんから電話。紹介されたのがこの本でした。
彼女はついこの間まで現役の薬剤師さんでしたから、理系の人。私は高校の時から理系の苦手な文系。

取っ付きにくいんじゃないかしらと思っていましたが、手に入れて読んでみましたら、彼女のお薦めどおり、文学的表現が随所にあって、それが理解を助けてくれてもいて、読み出したら止まりません。その割には思いがけずも読了に時間がかかってしまいましたが。全部が理解できるわけではありませんし、わからない所はそのままにして?読み進むイイカゲンな読み方ですが、帯に推薦文を書いている方たちの文章に同感、納得しています。
私の感想より、名だたる先生方の感想を:

よしもとばなな氏 「スリルと絶望そして夢と希望と反逆の心にあふれたどきどきする読み物です!大推薦します。」


高橋源一郎氏  「優れた科学者の書いたものは、昔から、凡百の文学者の書いたものより、遥かに、人間的叡智にみちたものだった。つまり、文学だった。そのことを、ぼくは、あらためて確認させられたのだった。」


茂木研一郎氏  「福岡伸一さんほど生物のことを熟知し、文章がうまい人は稀有である。サイエンスと詩的な感性の幸福な結びつきが、生命の奇跡を照らし出す。」


内田樹氏  「超微細な次元における生命のふるまいは、おそろしいほどに、美しいほどに 私たちの日々のふるまいに似ている。」


森達也氏  「分子生物学ミステリーでもあるが、謎解きの面白さだけではなく、生きることの不条理さや悲しさにまで読者を誘うだろう。」

著者は福岡伸一氏、時々テレビでもお見かけする方ですが、カバーから:「1959年東京生まれ。京都大学卒。ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学教授。専攻は分子生物学。2006年、第一回科学ジャーナリスト賞受賞。」
最後のエピローグのところで、福岡氏は少年の頃の二つのエピソードを紹介しています。アオスジアゲハの幼虫に関するお話と、もう一つはトカゲの卵です。少年は楕円形の卵を家に持ち帰って、変化を待つが何事も起こらない卵に待ちきれなくなって、ある日小さな穴を開けて内部を見ることに。”生きて”いればソット穴を閉じればいいと思って。
「中には、卵黄をお腹に抱いた小さなトカゲの赤ちゃんが、不釣合いに大きな頭を丸めるように静かに眠っていた。次の瞬間、私は見てはいけないものを見たような気がして、すぐにふたを閉じようとした。間もなく私は、自分が行ってしまったことが取り返しのつかないことを悟った。殻を接着剤で閉じることはできても、そこに息づいていたものを元通りにすることはできないということを。いったん外気にふれたトカゲの赤ちゃんは、徐々に腐り始め、形が溶けていった。」
この体験は、「私にとってのセンス・オブ・ワンダーであったのだ」と書いておられます。
一番でなければ意味がないという熾烈な競争の第一線にあって、福岡氏の生物学者としてのあり方は、この少年のころの体験を心に刻んでの事なのです。実験マウスで遺伝子操作をしつつも、というより、遺伝子操作の実験をしたからこそ、「生命のバランスを崩す操作的介入は取り返しのつかないダメージを与える」ということなのです。だからこそ、「チェルノブイリの臨界事故を悲惨な記憶としてとどめることができる」のです。
とにかく情景描写や研究者の個性溢れる人物描写の鮮やかさと研究の図入り解説とのバランスも見事。「生命とは自己複製するシステム」であるという定義から、いや、それだけではないと「物語」が続く面白さ、「内部の内部は外部である」という章で語られる細胞の活動の不思議など、文系の者でも興味が尽きない読み物になっています。