”瞼(まぶた)の父”

昨日からニュースで取り上げられた歌舞伎界のお目出度いニュース。
今朝の新聞では「若手歌舞伎俳優の市川亀次郎さん(35)は27日、父の市川段四郎さん(65)らと東京都内で記者会見し、来年6月に東京・新橋演舞場で開かれる歌舞伎公演、叔父の市川猿之助さん(71)を継ぎ、四代目猿之助を襲名すると発表した。猿之助さんは二代目猿翁を襲名する」と素っ気無い書き方です。
ホテルでの記者会見には同時に襲名する二人が出席。朝の各テレビ局も私の関心も俳優の香川照之さん(45)とその長男の政明くん(7)に。二人が、それぞれ市川中車市川團子(だんこ)を襲名するという事に注目です。
そして、仰天の発表も。香川照之さんは猿之助さんと浜木綿子さんとの子どもで、2歳の時、両親が離婚。東大現役合格が話題になったり、東大卒業後俳優になったときにも話題が。それからしばらくして、猿之助さんの楽屋口に親子の対面を果たしたくて訪ねた香川さんに、猿之助さんは、「あなたとは父でもなければ子でもない。私との関係はありません」と拒否されたということも話題になっていました。昨日のニュースでは、その時、「何者にも頼らず少しでも精進して立派に独り立ちしなさい」と突き放されたとも。
藤間紫さんとの結婚、死別、それ以後の猿之助さんはどうされていたのか? 私は、一度、スーパー歌舞伎を観に行ったことがあります。脚本が梅原猛さんの「ヤマトタケル」でした。エンタテイメントかショーっぽくって感動まではいかなかったので、それ1回きりでしたが。
ところが、昨日の記者会見を聞いているとビックリ。猿之助さんは8年前に脳梗塞で倒れて、香川さんと今年の春から45年間無縁だったのに親子3代で同居している!とか。
香川さんのお話によると、3年前から母である浜木綿子さんに「引き取りたい。病気を治してみせる」と話していたとか。そして素人の45歳で歌舞伎の世界に挑戦することになるが、それは「この船に乗らないではおれない。140年続く歌舞伎の家系を、自分がいて、7歳の長男がいて、継がずにおれない。継ぐことが私の人生と決めていた。父にも、祖父にも、曽祖父にもついている「政」の1字を息子につけたのは今日の日を迎えるためだった」と。
私は、60年前、浜木綿子さんを見たことがあります。一瞬だったか、何分間だったか、宝塚音楽学校の生徒さんだった浜さんが、我が家の一筋南、1ブロック東の奥に住んでおられ、香川姓だった頃のことです。当時30歳くらいだった母が、ご近所の同じような母親仲間と噂しているのを聞いていました、「香川さんの娘さんは、タカラヅカで、緑の袴姿であの道を通っているのが見える」と。そして、ある日、私は、風呂敷包みを手に抱えて緑の袴で帰宅される浜さんの姿を一度だけ見ました。我が家の裏筋がまだ空き地だったころです。ずい分お姉さんに見えましたが、私が多分箕面に引っ越してきた7、8歳、小学校一、二年の頃ですので、浜さん16、7歳の時です。
それからすぐ引っ越され、後にはOさん一家が住み、何年か前、高齢の一人暮らしだったOさんも亡くなられ、一人息子のショウちゃんが処分。今は住宅展示場のような家が4軒建っています。
たったそれだけですが、香川照之さんがあの浜さんの本名の香川を名乗っておられるし、なんとなく、他人事とも思えず、その活躍ぶりを注目していました。
そして、私は、とうに、諦めておられると思っていました。ところが、”父恋し”の思いはくじけなかったのですね。母を説得して、病に倒れた父を引き取り、自分と孫を、澤瀉屋( おもだかや)の後継者に最初から育てるお役目を父親に任せて、そして昨日、脳梗塞の後遺症で不自由な身体の父親との親子3代のお披露目の場を迎える。
猿之助さんが不自由な言葉で、「浜さん、恩讐の彼方に、ありがとう、ありがとう」と言うのをきいて、ちょっとウルウルでした。
マイクを取った香川さんは、「たくさんの方のお世話になった(08年に亡くなられた藤間紫さんも間に入られたとか)」、
「これも母が許してくれたからです。お母さん、ありがとう」と。
こんなことがあるのですね。人を恨まず、念ずれば叶うというのでしょうか。心からオメデトウ!

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