原発事故は止められた?(NHK「メルトダウン〜福島第一原発 あのとき何が〜」より)

原発18日の日曜日、NHKで放送された番組「シリーズ原発危機 メルトダウン 〜福島第一原発 あのとき何が〜」です。
録画したこの番組「メルトダウン」を火曜日の夜見ました。3・11、あの日の原発事故現場の再現です。緊迫したあの日の緻密な再現に時間が経つのを忘れるほどです。

いつも大切な番組を事前に紹介してくださるブログ「eirene's memories」さんが番組内容の紹介記事(http://d.hatena.ne.jp/eirene/20111217/1324088662)を掲載されていますので、その中から。

レベル7、世界最悪規模の放射能汚染を引き起こした東京電力福島第一原発事故。発災から8ヶ月経つが事故の全容解明は未だ道半ばだ。NHKでは福島第一原発であの時いったい何が起きていたのか、独自の取材をもとに徹底解明する。
まず、原発の命綱ともいえる電源を奪った津波はどのように発電所を襲ったのか。専門家による新知見を踏まえてCGで再現、思わぬ経路から海水が進入した事実を明らかにする。続いて、核燃料のメルトダウンはどのように進んだのか。原子炉の水位や圧力、放射線量の記録など膨大なデータを改めて検証。最新の解析ソフトでシミュレーションを実施し、全電源喪失から、燃料のメルトダウン、水素爆発にいたるまでの詳細なメカニズムを明らかにする。さらに、メルトダウンが進む原発発電所員らはどう事故に向き合ったのか。事故想定をはるかに超える長時間の全電源喪失。通信装置が壊れ連絡が取れない建屋内部。照明が消えた制御室に迫る放射性物質。取材を通して、壮絶な現場の状況も明らかになってきた。
 
事故直後から独自取材で集めた証言をもとに中央制御室を再現。最新のデータ分析と証言を重ねて「あの日」の“真実”に迫り、人類はこの巨大な原子力エネルギーにどう向き合うべきなのか、根源的な問いを投げかける。

番組が問いかけていたのは、原発事故は防げなかったか? 事故の進展を遅らせるチャンスはなかったのか?ということです。
見終わって思うのは、原発を扱う当事者たちにまで及んでいたこの国の「安全神話」の恐ろしさです。事故を想定すること自体が忌避されてきたこと。東芝で原子炉の設計技術者だった後藤政志氏(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110824/1314154496)(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20111031/1320022120)が仰っていたように、「事故」という言葉そのものさえタブーだったという「原子力ムラ」とそこの住人のやることですから、お話になりません。

番組ではあの日、あの場にいた人たちを含めて100人以上からの取材と、サンプソンという計算機を使い3か月がかり、秒単位で原子炉内をシュミレーションして、3月11日の午後2時46分以後をCGと再現ドラマ?で検証していきます。

結論を言いますと、大事故は防げた、大きく遅らせるチャンスはあったということになりますが、それこそ、机上の空論というか「夢物語」であって、防ぐポイント、遅らせるチャンスに気付くほど原子炉そのものの知識、運転の知識もなかったということになります。考えられない、信じられない思いですが、それが54基も原発がある日本の現実で、だからこそこんな世界最悪の事故を引き起こしたのだということが徹底的に検証されます。科学技術に神話を持ち込んだ挙句の果ての何ともお粗末、かつ重大な人災事故の顛末です。

番組が検証した結果、ポイントが2つ。1つは非常用復水器という装置。2つ目は水位計です。

まず、非常用復水器(ISOLATION CONDENSER)=「イソコン」と呼ばれている装置。これは、全電源喪失の際にも唯一機能して原子炉を冷温停止状態にもっていく装置です。水が入っている大きなタンク内にパイプで蒸気を通過させ、蒸気が冷えて水に戻ったら、叉炉に戻すという循環によって核燃料を冷やします。
世界最大の原発大国アメリカ、コネティカット州にあるミルストン原発は福島第一の原発と同じタイプです。
この復水器は事故の際=電源のバッテリーが失われた場合、安全を確認するまでの予防的措置としていったん自動で弁が閉じ停止することになっています。ですから、事故が起こったら、電源喪失を想定し、非常用復水器(イソコン)の弁を手動(Manual Operation)で開ける訓練が行われています。
アメリカの原子力規制委員会の指示によるガイドラインには、「メルトダウンを防ぐために非常用復水器の弁が手動(manual operation)で開けることができるように備えておく必要がある」と記している。
ミルストン原発の事故対策の専門家ダイク氏は取材にこう答えています。「全ての電源を喪失した場合には非常用復水器の弁は必ず開けておかなければならない。なにがあっても復水器だけは即座に稼働させなければならない。」
非常の際(全電源喪失時)には手動で起動させる復水器(イソコン)。しかし、この基本的な使い方が日本では十分に理解されていなかった。(全くと言い換えるべき=蛙)

中央制御室のホワイトボードを見ても、全電源喪失の後も、イソコンを意識した形跡がない。(ミルストンの担当者の発言とは大違い=蛙)
シュミレーションによる原子炉内の燃料のメルトダウンへの進行状況と証言による制御室内の操作との突合せでは:
5時19分 メモにイソコン(復水器)の名前あり確認している。しかし、止まっていることに気付かず。(一旦自動停止することを知らなかった)
免震重要棟の福良所長は、イソコンが止まったら、そういう(止まったという)情報が上がってくると思っていた、と話しています。(NHKの取材は12月11日ですので、実際の指揮は病気で倒れる前の吉田所長)

16:52:20 − 水位は核燃料棒上部まで。
17:50     核燃料半分以上露出。この時、運転員が懐中電灯片手に建屋まで見回りに行くが、線量計が高レベルに達して普段の装備のままだったので引き返している。
18時過ぎ  バッテリー一時回復。緑色ランプ点灯(閉じているを示す)。イソコンが電源喪失時点から止まっていたとは思わず、一時停止ととる。 (イソコンが自動で一旦停止し、起動させるには手動で弁を開くということは東電全体で周知されていなかった=誰も知らなかった=蛙)
炉内の水はまだあると思っている。原子炉状態悪化:燃料半分以上露出。燃料の過熱始まる。


免震重要棟にいた事故対策本部は、この時、1号機の状態をどのように認識していたのか?
免震重要棟の福良ユニット所長は、「イソコンは動いていると思っていた。逆に、イソコンが止まったら、そういう(止まったという)情報が上がってくると思っていた」と話しています。

18:18   赤ランプ点灯。イソコン(復水器)起動。激しい勢いで放射性物質を含まない大量の蒸気が噴き出す。
      その後蒸気が見えないという報告があり、運転員が、空焚きと勘違い、イソコンが壊れて放射性物質が外に出ると思ったので、
18:25   イソコン止める。(専門家によると実際にはイソコンは頑丈な作りで空焚きしても壊れない)
この時点で、もし、イソコンが動いていれば、水位は半分まで回復、メルトダウンを7時間遅らせることができたと専門家は言う。「この時間を活かしてイソコンに水を追加していれば原子炉が破壊することはありえない。格納容器も壊れることはない。ほとんどの放射性物質の放出はなかった、イソコンが働いていればという条件でですが。」
イソコンの停止は対策本部にも伝えられたが、事の重大さは認識できていなかった。アメリカと違って電源喪失を想定できていなかった。
「全電源喪失後もイソコンが動いていると思ってしまった背景には、日本にはアメリカと違ってバッテリーが長時間にわたって全て失われるということを想定していなかったことがある。そのため、何が起きるのか、どんな対処をすればいいのか、誰も正確に認識していなかったのです。(取材デスク)」
正確な事態の把握を阻むもう一つの要因は、水位計の表示が誤っていたこと。

これも、水位計が炉内の水位を正しく表示できないことが新潟県柏崎狩羽原発で示される。日本では多くの原発が同じタイプの水位計を使っている。
理由は中心部にある。原子炉と直接つながっている金属の容器。この中には炉の水位を計るための基準となる一定量の水が常に入っている。1号機では、原子炉が空焚きになった結果、容器が高温になり、そのため水位が正しく計れなくなっていた。
さらに基準の水が減ると原子炉の水位計は実際より高い値を示すようになることもわかってきた。(実験でも簡単に再現出来るとして番組でも紹介)。
また、1979年のアメリカ、スリーマイル島原発事故の原因の一つが、「運転員が水位を勘違いさせられた」という報告(アメリ原子力規制委員会)がされている。この事故をきっかけに日本でも非常時に信頼できる水位計を作るべきだという議論が起きた。しかし、有効な改善がされずに今に至る。

事故当時、電気が失われていて全ての計器が見えなくなっていた。そのとき、運転員が最も気にしていたのが原子炉の水位。実はこの水位計の数字が誤っていて深刻な事態の把握を遅らせることにつながっていく。
11日午後9時ごろ、シュミレーションによると、燃料は完全露出。非常に危険な状態。しかし中央制御室では事態を認識できず。
通勤バス用のバッテリーで計器の一部を復旧しようとすると、水位「TAF(燃料上部)+200」を示し、現状とは大きく異なる表示がでた。対策本部でも1号機はまだ大丈夫という認識が広がった。
その後も、水位計は「TAF+550]などと、上昇を示す。
7時間後、事故現場の操作メモにも、水位計を疑うメモが残っている。ホワイトボードに赤ペンで「水位計あてにならない」と書かれていた。
その後も原子炉の水位は10分ごとに読み上げられた。(実態を全く表していない高い値)
電源喪失から8時間後、バッテリーが回復し、これまで確認できなかった格納容器の圧力が600キロパスカルになったのを知った時、初めて危険を把握。この時の原子炉の温度は1200度まで上昇、大量の放射性物質が漏れ始めていた。メルトダウンは時間の問題となり、大きな決断を迫られる。
1号機の異常はすぐに対策本部(吉田所長)にも伝えられた。対策本部は格納容器の破壊を防ぐため中の空気を放出して圧力を下げるベントの実施という作業の準備を始める。
危機的状況に気付いた時、残されていたのが放射性物質を外に出すという最後の手段だった。(その時放出された放射性物質に対して近隣住民がどうすればいいかは想定外のはるかかなた。なにしろ、重大事故は日本では起こらないことが前提で原子炉を運転していたのだから=蛙)
3月12日午前1:09:50 運転員がベントの準備を進めている最中、ついに、メルトダウン開始
中央制御室内でも線量が上がり防護服着用、この時点でも原発内でメルトダウンが議論されることはなかったという。
ベントの実施のため、建屋へは状況のわからない中、若い者はやれず、ベテランが向かう。
午後2:30 ようやくベント。その1時間後、爆発。原子炉から漏れ出た水素が原因。
制御室内全体白いホコリが舞い、「正直、終わったなと思った」。「写真を撮らないか」と一人が呼びかけた。

1号機、建屋上部、水素爆発。「生きて戻れないと思っていた」
つづいて3号機、メルトダウン、水素爆発。15日、2号機から放射性物質が放出された。
  

ナレーション「史上最悪規模の原発事故。大量の放射性物質によって大地と海は汚染されています。事故から9か月、いまだに避難生活を余儀なくされている人は15万人を超えます。」

根元良弘取材デスクのまとめ:
福島第一原発の事故は震災との複合災害、複数の原子炉が同時に危機的状況に陥るという世界に例のない深刻な事態でした。水素爆発が次々と起こる中、現場の当事者たちが事故の進展をくい止めようと最後まで対応にあたりました。しかし、経験もマニュアルもない中、困難な作業を強いられました。今回、私たちの取材から重要な冷却装置の仕組みを充分理解していなかった問題や、緊急時に頼りにならない水位計を使ってきた問題が明らかになりました。こうした事前の備えの甘さが結果的に事故の拡大を防ぐチャンスを逃すことにつながりました。
大量の放射性物質の放出によって多くの住民が避難を強いられている結果の重大性を考えるとき、「困難だった」「想定外だった」では決して済まされません。核エネルギーの持つ危険性への認識が欠けていたと言わざるを得ません。今後、原発をどうしていくのか、今回の事故の徹底した検証なしに、その議論は出来ないと思います。」

重大事故は日本では起こらないという「安全神話」を作り上げた日本の原発担当者たち(国、電力会社、政治家、学者、技術者、裁判所、新聞社、テレビ、などなど)、それを信じて疑わなかった電力消費者の私(たち)。国内でもショッチュウ原発事故は起こっていたといいます。スリーマイル島の事故にもチェリノブイリの事故にも学ぶことをしなかった日本。事故現場にいた当事者よりも「安全神話」を批判していた原子力の専門家たちの方が、事故の際の原子炉の状況の進展を理解できていたという皮肉。今度もまた同じことをくり返そうとする人たちを夢から覚めた私たちは許してはいけないと思います。