橋下市長の「留年検討指示」に尾木氏「わかってない!」

(本日2つ目の記事アップです・1つ目「小出さんと維新の会」)

さすがやることが早い! 早すぎる!
昨日取り上げた尾木直樹氏の「橋下維新の会の教育改革批判」に対して、橋下市長の早速の反応です。
今日の讀賣新聞、私はネットで見ました。以下記事です:

橋下市長、小中学生の留年検討…尾木直樹氏提案


大阪市橋下徹市長は22日、小中学生が目標の学力水準に達しない場合、進級を認めず留年させることを検討するよう市教委に要請したことを明らかにした。


 同日開かれる市教育委員との意見交換会で協力を求める。義務教育課程での留年は法的には可能だが、実際の運用はほとんどない。


 市役所で報道陣の質問に答えた。橋下市長は、教育評論家の尾木直樹氏が学力の底上げ策として、小中学校での留年を提案していることに賛同する考えを示し、「学んだかどうかに関係なく進級させることで、かえって子どもたちに害を与えてしまっている。理解できない子にはわかるまで教えるのが本来の教育だ」と述べた。

 義務教育での留年は、現行法でも学校長の判断で可能だが、学校現場からは「子どもへの精神的影響も大きい」との声がある。」
(2012年2月22日13時14分 読売新聞)

先ほど5時の関西テレビ「アンカー」での取材では尾木直樹氏はご立腹でした。
「私が言いたかったことを理解していない。
今の教育は責任を取ろうとしていないということが問題。
そこをそのままにしておいて、子どもに留年させることは大変なことで、何を考えておられるのか!?」

「拙速」という言葉があります。橋下市長には一度尾木さんと直接会って提案の内容をよく聞いていただく方が先のようです。


ところで、我が家にある一番古い物・ガラス瓶です。
私が生まれたときのミルクビン。
「牛乳一日」という字と生後「半年から十二月」までと「目盛」
裏には「練乳」と「一匙半」から「七匙」までと「湯」と「目盛」
1944年(昭和19年)の戦争中、68年前に父が買い求め
母に渡したそうです。
いつの頃からか、母から私の手元に移ってきました。
おはじきとビー玉を入れて、ワインのコルクで栓をして
シンクの前に置いて眺めています。