反貧困の湯浅氏・「角のないオセロ」

]土曜日、母とタクシーで「(国立)循環器(病研究センター)」へ出かけ、いつものように新聞を買って父に届けました。家では讀賣と我が家のコーヒータイムで日経を読むことになっていましたので変わった方がいいかと朝日を買うことにしています。父が読んでいたのか「オピニオン」の一面記事が載った部分が取り出してありました。差し替えたときに、読みたいので貰ってきました。
今、読み始めている矢部史郎氏は71年生まれ、湯浅誠氏は69年生まれ、橋下徹氏も同じ年代です。この世代の人たちが社会の担い手になり始めています。丁度私の息子たちの世代です。この年代の考え方に関心があります。「14歳からの原発問題」の著者雨宮処凛さんは少し若くて75年生れです。弁護士の橋下さん以外は「社会運動」の経験者です。
さて、朝日新聞13日の「耕論」(オピニオン面)は「政権を出た派遣村村長」というタイトルです。反貧困ネットワーク事務局長・湯浅誠氏の紹介は<69年生まれ。01年、NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」を友人と設立。08年末に「年越し派遣村」の村長を務める>。
なぜ、いま、湯浅氏?について、リードの部分では:

年越し派遣村」村長から内閣府参与へ。湯浅誠さんは「時代が変わる」という予感と希望を体現していた。だが今、民主党政権への失望とあいまって「取り込まれた」との批判も聞こえてくる。「持ち上げて落とす」はこの世の常だが、その繰り返しは誰も幸せにしない。色眼鏡をはずして聞いてみよう。湯浅さん、どうですか?

質問は、かなり執拗に「政権に取り込まれたのでは?」と訊ねているようにとれます。また湯浅氏の答えもかなり執拗に「そうではない」をくり返しています。理想主義が現実に負けて、それ見たことか…はいつの時代も若い者に投げかけられる世間の冷ややかな物言いですが、この紙面はそれを前提にそうではない道を探っています。
今日のブログのタイトルにした「角のないオセロ」の部分から少し端折りながらの引用です:

「どんな立場になっても、やっているのは結局『角のないオセロ』のようなものだと実感していますオセロでは角を取れば一気に多くの駒をひっくり返せますが、現実にはそんな角はない。一個ずつ地道に反転させていくしかないのです」


ーーオセロの盤そのものをひっくり返そうという闘い方もあるのではないですか。機能不全に陥っている「あっち側」とオセロを続けて、本当に社会がよくなるのでしょうか。


「少なくとも私は、コマを一つ一つひっくり返す積み重ねの延長でしか、盤をひっくり返すことはできないと思っています既成政党、議会制民主主義が機能しないからといって、見限ってしまうことがよい結果をもたらすとは思えません」「1億2千万人が住んでいるこの社会はそもそも複雑なものです。議会制民主主義は、10ある利害をできるだけ切り捨てないようにして玉虫色の結論を出すシステムです。一方で今待望されているのは、10の利害から1をとって9を捨てられる強いリーダーですね。しかしそこで切り捨てられるのは誰か。おそらく私たちでしょう」


「複雑なものを無理にシンプルにしよう、ガラガラポンしてしまおうという欲求の高まりには危機感を覚えます」
ーー橋下徹現象、ですね
「橋下さんが支持を集めているのは『決めてくれる人』だからで、その方向性は問われません。『おまかせ民主主義』の延長に橋下さんへの期待がある。『あっち側』に期待するか、批判するかの違いはあれど、決定に至るまでの調整を誰かに任せて、観客のような、評論家のような気分でいるという点では、橋下さんを支持する人たちと社会運動はともすると同じ図式の中にはまり込みかねない。どちらも民主主義の形骸化という意味で問題です」


「日本の民主主義の現状は危機的です。『おまかせ』の回路を何としても変えたい。主権者としての力を示したい。この2年間の経験を持ち帰り、社会運動に何ができるのかを追及したいですね。」


聞き手は高橋純子氏:「取材を終えて/ 湯浅さんは「メビウスの輪」。理想主義と現実主義。優しさと冷徹さ。直線状の両極が重なり、敵か味方か峻別しようと真ん中にはさみを入れても大きな一つの輪になる。そして湯浅さんへの問いは反転し、私たちに返ってくるのだ。「あなたは社会を変えるために、何をやりますか?」

湯浅氏の橋下氏に関する受け答えは蛙ブログ3月3日の”反貧困の湯浅氏「橋下維新を考える」”の讀賣のコラムの記事の内容と全く同じです。湯浅氏と橋下氏は年齢的にも同じ世代で、現状を何とかしなければ、また、批判するだけで行動しないというのではダメだという点できっと同じですね。大きく違うのはそのやり方、手法が全く違う。朝日の記事で、この社会は「角のないオセロ」で「コマを一つ一つひっくり返していくしかない」という表現に実感と覚悟が感じられ共感します。
一方、橋下氏は「角のあるオセロ」ゲームで角を取って一挙にひっくり返すゲームを仕掛けています。もう一角は取れて、あと一つか二つの角をねらっているところでしょうか。私たちは、湯浅氏の言葉にあるように「観客」や「評論家」気分でこのオセロゲームを見ているわけにはいかないです。一つ一つのコマをひっくり返す作業(闘い?)に声援を送り、出来るなら(若ければ?)お手伝いをしたいくらいです。