七夕によせて・・・(一寸いい話と核関連死者数573)

昨夜は大雨に絨毯爆弾のような雷が轟きわたり、竜巻注意情報が関西でも出されるなど、わが町は自然災害にも合わずにラッキーと言ってられないと話したりしていました。七夕の今日は何とか雨降りではないようです。
昨夜、金曜日ごとの官邸前の大飯原発再稼働反対のデモが先週は大規模になり、今週は関電前でもということでしたので、息子が帰宅して、関電前どうなった?と言った頃、ちょうどテレビでデモの様子(東京)が流れました。3人で、ヘェ〜ニュースで取り上げるようになった〜と言った途端に終わってしまいましたが、取り上げざるを得ない状況にまでなったことが素晴らしい! 参加者の皆さんのおかげですね。早速「特別な一日」さんのブログでその日の東京官邸前の様子がわかりました。
関電前も今朝の箕面通信さんの記事(http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/8efe27c8c507c6b60350607aef497984)では2000人規模だったそうです(前週もあった!とか)。そのうえ、官邸前のデモを朝日新聞はもちろん、推進派の読売新聞でさえ写真つきの記事で取り上げたそうです。
そして、そのデモに参加していた田中康夫さんのチョットしたステキなエピソードを、「原発のない日本を目指して福島から叫びます」(http://blogs.yahoo.co.jp/phkhn641/13595798.html)さんのブログで見つけました。昨日のデモが終わって帰るとき、あの仕切りに使う三角錐・セイフティーコーンを片付けている警察官が小さな声で「再稼働反対」と言っているのを聞いたそうです。目があった時、その警察官ははにかんでいたとあります。3月に私が大阪で参加したときも、警察官は、小さな子どもや赤ちゃんを抱いたお母さんも歩いている行列を守っているように感じましたので、さもありなん・・・良い話だな〜と思って読みました。

さて、今日のおススメ記事は「カレイドスコープ」さんの「福島第一原発人災事故に関係する死者数は573人以上」(http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1405.html)という記事です。
読売の英語版と日本語版の同一記事を読み比べています。英語版では「核クライシス関連の死者の数は573名」(573 deaths "related to nuclear crisis")となっているのに、日本語版は「災害関連死、573人認定…福島の13市町村」(2012.2・4)となって、「核」という言葉は避けられているという内容です。
英語版を日本語に直したものと、日本語版の両方が紹介されています。
一部分をコピーして:

英語版の方は、災害死亡認定を受けた573人の方々を、「死亡の原因が核クライシスに関係する」と書いています。しかし、日本語版のほうには、そんなことは書かれてありません


タイトルにも、英語版には「nuclear crisis」とはっきり書いてありますが、日本語版には、核を連想させる言葉さえないのです。


新聞の記事を絶えず懐疑的に読んでいる海外の人向けの海外版では、騙し通せないので、正直に「核災害によって亡くなった」と書いているのですが、日本の読者は簡単に騙せるとばかり、「原発事故が原因」であることを連想させることは省いてあります。


この原発推進新聞は、年中、こうした騙しをやっているのです。
いったい今まで何度、こうした「欠陥記事」を読まされてきたことか。あまりに子供じみていて、もう、うんざりです。


これを不良情報と言います。


人々は不良品を買わされたときには、自信を持ってクレームを言いますが、情報に対しては不良品だとしても気に留めないのです。
これは日本人特有のことなのです。


不良食品を食べ続けていると、しまいには体を壊しますが、不良情報を読み続けていると、最後には精神を狂わされてしまうので注意です。
非常に有害です。


大飯原発再稼動に関する掲示板を読むと、「福島第一原発災害で死んだ人は、たった一人もいない」と書いている人々がいます。何人も。


去年も同様のことがありました。事故を少しでも過小評価させようと、東電関係者、その利害関係者があらぬことを掲示板に書き込んでいたのです。


そして、大飯原発関西電力でも同じことが行われているのです。
原発事故で死者が一人も出ていない」と書いているのは、どんな人間なのか、この新聞記事が証明してくれているのです。


原発作業員の死者数はすで二桁でしょうし、下の記事のように、津波で流されなかった人も、怪我などをしたために自力で逃げることができず、衰弱死した人も多いでしょう。


何より痛ましい双葉病院の入院患者たち。病院関係者の必死の頑張りも虚しく病人たちは搬出されることはなく、衰弱や低体温症によって亡くなっていきました。

(写真はフィレンツェの朝:アルノ川河畔、真ん中はショーウインドウのピノキオ、下は食べ物屋さん?食堂?のナベ看板?)