ドイツから日本へ(「みどりの1kwh」紹介)

パラリンピックがロンドンで開幕、12日間の競技が始まります。ヤングなでしこの昨日の日韓戦3:1は見ごたえがありました。女子サッカーは層が厚くなっていますね。
国会は野田総理の問責決議案が可決され、いよいよ民主党自民党の崩壊?が進みます。その自民党の右からの補完勢力としての役割を「維新の会」が担いそうです。こうなってくると橋下市長の「大飯原発再稼働見直し」も脱原発に繋がるのか疑問です。とにかく「2万%なし」と言って知事選に出た人ですから信用は出来ません。どちらにブレるか注目です。
試されるのは国民の判断です。誰が本気で、福島の人や福島のことを考えて政治をしようとしているのか。誰がこの国の過去から学んで、この国の未来である子どもたちのための政治をしようとしているのか。自分のこととして考えて、これぞという政党、これぞという候補者を探して当選させなければ…と思います。
自民党の総裁選挙は14日告示26日選挙だそうです。谷垣氏が再選を狙い、石破氏や町村氏、林氏や「維新の会」のトップに乞われたという安倍氏もと取沙汰されるなかで、一貫して脱原発を主張している河野太郎氏も総裁選に名乗りを挙げていたと「マガジン9条」で知りました。自民党の中で脱原発勢力がどのくらい居るのか総裁選で分かることになります。
今日31日(金)、夕方のニュース番組で(テレビ朝日の「キャスト」)民主党から飛び出して新しく「国民の生活が第一」党の代表となった小沢一郎氏への独占対談が放送されます。原発、TPP、維新の会(橋下氏)についてなど訊いていると昨日の予告でした。これは注目して見たいと思っています。


さて、昨年、ドイツ在住の日本人が開設した「みどりの1kwh」というサイトがあり「お気に入り」に入れています。丁度、「1周年を迎えて」という記事がありますので、サイトの紹介を兼ねてその一部をコピーしてみます。

1周年を迎えたmidori1kwh.de
じゅん / 2012年8月26日


長年ベルリンに暮らす“6人の魔女たち“が、日本に住む人たちのためにドイツの脱原発のプロセスや再生可能エネルギーについての情報を伝える日本語のサイトを立ち上げたのは、去年の8月15日だった。


福島原発の事故による放射能の危険について、日独のマスメディアの報道に大きな違いがあったこと、また、日本に住む日本人とドイツに暮らす私たちの間の原発に対する意識に大きな温度差があったことなどから、自分たちもドイツの多彩な情報を日本の人たちに伝えたいと願ってのことだった。実際に被害を受けた人たちはなるべく被害を過小評価したいという心理が働くものだが、私たちは遠くに離れているからこそ、過酷な原発事故の現実を直視することができるのではないか、との思いもあった。



第2次世界大戦の敗戦の日に私たちのサイトをスタートさせたのは、3月11日の東日本大震災、特に福島第1原発での複数事故を日本の“第2の敗戦“ に匹敵すると深刻に受け止めたためである。アメリカによる広島、長崎への原爆投下は戦争中の敵から受けた被害だったが、原発の事故は自分たちの手で起したものである。時代や政治状況は異なっても「神話」を信じて国民をあげて思考停止に陥った事情は、当時と「原発事故前」となんと似ていることだろう。「神国日本、無敵の日本」を信じて国民をあげて無謀な戦争に突き進んだ当時の日本人と「原発安全神話」を信じてそれ以上考えようとしなかった現代の私たちの精神構造は、少しも変わってはいないのではないか。
<後略>

このサイトから興味深い記事をご紹介します。タイトルは「月曜日から金曜日へ − 長い闘い」という題です。
7月29日の日曜日、ベルリン、ブランデンブルク門では、日本で毎週金曜日行われている国会包囲デモに連帯してデモが行われました。
その参加者である「あきこ」さんの記事です。その日のデモの様子と集会での日本人女性の演説も紹介されています。ぜひコチラで全文を:http://midori1kwh.de/
ここではその演説と、かつての東ドイツ・ライプツッヒで1980年代に始まった反核平和運動ベルリンの壁の崩壊のキッカケを作ったというエピソードを交えた後半をコピーします。

月曜日から金曜日へ − 長い闘い

あきこ / 2012年8月5日


<前略>



デモの開催に当たって、ベルリン在住の日本人女性がドイツ語で次のように演説した。




福島の事故後、5月5日から2ヶ月間にわたり、日本ではすべての原発が停止した。これこそ日本が原発を必要としない明白な証拠だ。しかし関西電力は、原発がなければ日本の暑い夏を乗り切ることはできないというウソをついた。7月の最も暑い日でさえ80%代の電力しか消費されていない。関西電力管轄地域には、原発以外の発電所があるのに、稼動されていない。ここでも原発が必要でないことは明らかだ。


巨大地震が起きる可能性がある地域で、次の悲劇が起きないように原発は直ちに停止すべきだ。市民の強い抗議にもかかわらず、野田首相は再稼働を宣言。7月上旬には大飯3号機、2週間後には4号機が稼働を始めた。関西電力は、2つの原子炉の間に活断層があるという疑いさえ無視している。




日本の母親たちは、この異様なシステムの中で不安を抱いている。はたして子供たちは幸せになれるのか。このシステムでは、命がおびやかされ、運悪くシステムの犠牲となった誰かは苦しむことになる。福島の人々はほうっておかれたままだ。そして東電も政府も悲劇の責任を取ろうとしない。




日本の大手マスコミは、今までずっとデモを無視し続けた。しかし、もはやNHKでさえ隠せないほど、市民のデモは広がった。首相官邸前で5ヶ月前に始まった金曜デモは、わずか300人の参加者だったが、6月以降は参加者が毎週増え続け、6月29日はその数が20万人に達した。7月16日、代々木公園に17万人が集結、原発事故以来最大の集会デモとなった。そして今日、日本では再び人々が集まり、国会を包囲し、再稼働反対の声を上げている。我々はベルリン、いや世界中で再稼働反対の署名を集め、その数は785万に上っている。




参加者からは、野田首相の再稼働宣言にはブー、再稼働の開始のくだりでは、ABSCHALTEN! ABSCHALTEN!(原発止めろ)のシュプレヒコールが湧きあがった。



日本人女性の演説に続いて、ドイツの青年、ドイツ人女性の演説があり、デモ行進へと移行。ブランデンブルク門を背に左に曲がって、アメリカ大使館、ユダヤ人犠牲者記念碑を左手に見ながら、ポツダム広場を右折、ベルリン映画祭のメイン会場を正面に見ながら、イスラエルの初代大統領ベン・グリオンの名前を冠した通りを歩き、さらにベルリン・フィルハーモニーの横を通るというベルリンの観光名所満載のデモコース。しかも、片側3車線の車道はデモのために完全開放。広々とした車道を歩くなんて、デモに参加しなければ滅多にできない経験。目的地の日本大使館に到着した後、「日本政府に対し、遠慮なく大きな声を上げよう」という主催者に従って、「再稼働反対!」「さよなら原発!」のシュプレヒコール。デモが終わりを告げる頃、雨が降り出し、解散後には激しい雨に見舞われたが、全行程を無事に終了した。この日のデモの様子、参加者と警察のあり方などについては、ベルリン在住の「明日うらしま」氏のブログに詳細があるので、ぜひ読んでいただきたい。


日本での「金曜デモ」が始まったというニュースを読んで、すぐにライプツィヒの「月曜デモ(Montagsdemonstration)」を思い出した。1979年のNATO二重決定を機に、西ドイツの反核平和運動が高まりを見せ始める。これに呼応して、ライプツィヒでも1980年代の初めから「平和の祈り」として月曜日のデモが始まった。1983年、アメリカが西ドイツに中距離核ミサイルパーシングIIの配備を決定したことに対し、反核を前面に打ち出した平和運動が大きなうねりとなった。これが現在に至るまで、ドイツの反原発通奏低音をなしているのではないだろうか。東ドイツでは、わずかな参加者で始まったライプツィヒの月曜デモが、ベルリンの壁の崩壊を引き起こすきっかけとなったのである。デモの行われる日が月曜日であれ、金曜日であれ、また参加者の数が多かろうが少なかろうが、市民が声を上げ続ければ、それはやがて山を動かす力になるだろう。

ベルリンの壁の崩壊は1989年11月10日、1961年8月13日の壁建設から28年後のこと。
それから1年足らずの1990年10月3日東西ドイツ統一が実現。1945年5月8日の東西分断から45年後のことでした。
どちらも、もうベルリンの壁が撤去される日は来ない、東西ドイツ統一はあり得ないと他人事ながらそう思っていましたので、本当に”あれよ、あれよ”という感じだったのを覚えています。ベトナム戦争が終わった時と同じような何とも言えない興奮状態にありました。私はその後の1996年にブランデンブルグ門とその近くのベルリン・フィルの根拠地フィルハーモニー・ホールに行きました。まだ壁のかけらをお土産に路上で売っている人もいましたし、ベルリンの街中が「工事中」でした。長い戦後、冷戦の時代の終わりの始まりの頃でした。
記事中、「デモの参加者と警察のあり方について」で紹介されている「明日うらしま」さんでは、「警察はデモする市民の擁護者である」として写真入りで丁寧に説明されています。
こちら(http://tkajimura.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html)も覘いてみてください。
金曜日デモに参加されている方たちは毎週のように体験しておられるので日本の警察がどっちを向いているかよくお分かりだと思います。大阪で3月11日に私たちが参加したデモでは、周りに子ども連れの参加者が多く、道路を渡るときはガードしていたようでした。(大阪には国会や官邸がありませんので…)
今日金曜日、東京でも大阪でも、日本のアチコチで平和なデモが行われるはずです。