「竜馬がゆく」シンポジウム(NHK)

土曜日、腰痛で座っていても痛くて横になり腰にクッションを当て楽な姿勢にしてテレビをつけたらEテレでシンポジウムというのをやっていました。
「竜馬50年」て何?と思ったのですが、出版50年記念の公開シンポジウムのようでした。壇上のパネリストは、紹介順に建築家の安藤忠雄さん、女優の真野さん、東大名誉教授の芳賀徹さん、そして武道家で思想家の内田樹氏でした。内田先生は、神戸女学院大学定年過ぎの60代には見えない若々しさでした。司会はNHKの古屋和雄さん。
司馬さんの「竜馬がゆく」は、私の場合、忘れられない人生の一時期と重なります。2人目の子どもを夫の実家で出産。夫の転職。転勤のため大阪へ。阪急六甲と国鉄六甲道の間、八幡神社に通じる宮前商店街の南端の会社が用意してくれた大きなお屋敷の離れに住んでいたこと、裏玄関わき部屋には留守番のおばあさんが住んでいて門番みたいだったこと。上の子が幼稚園から小学校1年の秋まで、下の子が入園を控えて視力検査を受けると片方が弱視と診断され、子ども病院や海星病院に親子3人で通院して、片目を覆うアイパッチ治療を続けていたこと。母の病気をキッカケに私の実家に越すまでの3年間の出来事です。ベトナムアメリカ軍が追い出されるのをテレビで見たり(ヘリコプターで慌てて逃げるシーンがありました)、ロッキード事件で田中元総理が国会で追求されるのをラジオで聞いたりした頃のことです。(今は宮前商店街もお屋敷跡のマンションも阪神大震災で焼け跡と化し私たちが住んていた頃の面影はありません)
その頃、仕事人間の夫の帰りを待つ間、夢中になって読んだのが司馬遼太郎作品です。幕末ものから明治維新を取り上げた中で「竜馬がゆく」は、やはり坂本龍馬の魅力と時代の転換を描いた内容とで忘れられません。引っ越しが決まってから、子どもが学校と幼稚園に行っている間に、夫に頼んで諏訪山公園にある海軍発祥の地を記念する石碑(PS参照)を一緒に見に行きました。龍馬は途中で殺されましたが、明治維新を成し遂げた勝海舟をどうして司馬さんは書かなかったんだろうと、子母澤寛の「勝海舟」を読み「新選組始末記」を読んで、「竜馬がゆく」は歴史ではなくて司馬さんのロマン・小説(だから「龍馬」でなくて「竜馬」なんですが)なんだとつくづく思ったりしたのもあの時代でした。
その私にとっても思い入れある「竜馬」を皆さんどんな風に…と興味をもって聞きました。

それぞれに司馬ファン、竜馬ファン、あるいは、司馬さんへの反発から入って結局は…という人もいて、なかなか楽しい内容でした。
面白いテーマで印象に残ったのを書き留めておくと、竜馬はアンビバレンツ、野生と文明性を兼ね備えている。
子どもの精神を持った大人っていうのは女性が憧れる男性像、しかし、「こども」を体験してないもんが子どもの精神なんかあるわけないというのは安藤さん、今の子どもは子ども時代を過ごせていない、塾へ行って勉強なんかしてると。
真野さんが、「司馬さんの作品では女性が描かれていない、不思議に思っていたが、司馬さんご自身が女性目線で小説を書いておられるからだとご本人にお聞きしました」と発言され、「そうか〜、新選組沖田総司にしても女性作家が書いたものより断然司馬さんの沖田が魅力的なのはそういうことだったのか・・・」と納得でした。
司会の古屋さんは、「薩長連合なった後、竜馬が渡した今でいう閣僚名簿を見た西郷が、竜馬の名前が入っていないと問いただすと竜馬は『役人になろうと思ったことがない』と無欲なんですね。竜馬にとっては維新も”片手間”だった。では、何をしたいかと問われて、『世界の海援隊でも・・・』と答えた、貿易ですね、世界を相手に。竜馬という人はケタ違いの日本人だった。
内田樹先生と隣の芳賀さんとの話が一番面白かったと思いました。60年代と「竜馬」というテーマで話された内容です。
「司馬さんは60年の安保反対闘争を意識して書かれたはず」と内田先生。オヤ!また何を言い出される!?かと思ったら、「60年安保闘争というのは左翼の闘争というのではなくて、反米愛国の闘いだった。そして反米愛国の戦いというのは日本では何年か毎に、波のように起きている。明治維新もそうだったし、大東亜戦争も最初はそういう意味もあった。司馬さんは60年安保のその意味を充分汲んだうえでファナティク=狂信的になってはいけないということを竜馬を通して描いている。竜馬は、最初は長い刀を差していた、そのうち刀が短くなって、今度はこれだと懐からピストルを出す、そして、今度はコレだと「万国公法」になる。竜馬はその時々に有効なものをどんどん取り入れていく。そういう柔軟性が必要、というようなことを言われました。
芳賀さんは、「そう、純粋で原理的なものになってはダメ。5・15事件や2・26事件の青年将校みたいになってはダメ。枠にはまった考えしかできないのはダメ。竜馬みたいに”不純”がいいんだ」と。芳賀さんは、司馬さんの「竜馬がゆく」とは別にアメリカの歴史家が龍馬を取り上げて論じた本を読んでおられて、それを読むと司馬さんの竜馬は「甘い」と思ったが、また読み直してみると司馬さんは上手に歴史のステージ(藩から日本、日本から世界へという)と竜馬の成長とを絡めて物語にしていると感心したとも。英語の本の中でも坂本龍馬は「志士」(A man of high purpose)であり「風雲児」(Children of the storm)となっているそうです。
私が見たのは菜の花忌のシンポジウムでした:

第17回菜の花忌シンポジウム


 第17回菜の花忌が、2013年2月9日、午後2時から大阪NHKホールで開かれました。ホールには約1,350人の方々が来場。
 舞台には恒例の約3,500本の菜の花が飾られ、華やいだ雰囲気のなかで行われました。


 第1部は、司馬遼太郎賞とフェローシップの贈賞式。『東京プリズン』の著者、赤坂真理氏と、『未完のファシズム』の著者、片山杜秀氏に司馬遼太郎賞が贈られ、京都大学の伊藤遥氏、大阪大学の東康太氏にフェローシップが贈られました。
 その後、赤坂氏、片山氏のスピーチや昨年のフェローシップ受賞者、井上茉耶氏、岩見有希子氏の活動報告が行われました。


 第2部のシンポジウムのテーマは、「混沌の時代に−『竜馬がゆく』出版50年」。
 パネリストの芳賀徹氏(東京大学名誉教授)、安藤忠雄氏(建築家)、 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)、真野響子氏(女優)の各氏が、古屋和雄NHKアナウンサーの司会のもと、出版50年を迎えた『竜馬がゆく』と、これからの時代に必要なことなどについて、活発に話し合いました。
 

 第2部
 シンポジウム「混沌の時代に−『竜馬がゆく』出版50年」
今回の菜の花忌の詳細・『遼』47号(4月20日発行)に掲載予定・4月6日(土)午後2時〜 NHK Eテレにて放送予定 

PS:諏訪山公園の石碑の写真を見つけましたので解説と一緒に貼りつけます。

「海軍営」とは、江戸幕府が建設した海軍の教育機関・神戸海軍操練所を記念して建立された碑です。

文久3(1863)年、14代将軍徳川家茂の大坂湾防備の視察に随行した勝海舟が海軍の設立を強く訴え、神戸海軍操練所が造られました。
「海軍営之碑」は勝海舟が、「日本海軍発祥の地」として操連所内に建てるため造ったもので、海舟の直筆で将軍家茂から直々に海軍操練所の建設を命じられたことが記されています。碑の裏面には松平春嶽の和歌が刻まれています
しかし海軍操練所は、短期間のうちに閉鎖され、海舟と深い親交のあった神戸村の豪商生島四郎太夫に預けられ、生島の邸宅内に埋められました。
その後、大正4(1915)年に神戸区に寄贈され、神戸港を見下ろす諏訪山公園に据えられ、現在に至っています。(住所: 兵庫県神戸市中央区諏訪山町5)