「龍馬伝」異聞?

涼しくなって秋の草花が咲き出しています。
愛用のカメラを2度ばかり落としたせいか、近接撮影のピントが合わなくなってしまいました。
そのカメラでいくら写しても水引草の極小の小花にピントは合いません。トホホ・・・な写真ですが2枚並べてみます。
北側、玄関先の白い水引草と秋海棠の花 


今日はヨーガの後、久しぶりに7人でのランチに参加。
その時、Uさんから手渡されたのが朝日新聞の5日の切抜き。オピニオン欄の野田正彰氏の龍馬についての記事でした。
野田氏は私と同年で高知出身。事件が起こると、特に青少年の事件の場合など、精神科医として発言されますが、一寸癖のある表現?をされる方で、最近はお目にかかることも発言を目にすることからも遠ざかっていました。
記事内容は、<NHKの「龍馬伝」で騒がれている龍馬人気は、30才そこそこで亡くなった人の青春像にしがみつく成熟拒否で幼稚さの表れ。NHKのドラマは史実を無視した英雄像で問題あり。龍馬が軍国主義に利用された過去も忘れないでほしい。「小説やドラマで都合のいい部分だけを切り取ったり、危機の時代になるとナショナリズムをあおるような形で、フィクションもない交ぜに語られたりする。今もそうではないですか」「龍馬本人を否定的には思っていません。ただ、勝手な使い方には『いいかげんにしてくれよ』と言いたくなります」>と。

大河ドラマの「龍馬伝」を毎回楽しみに見ている者からすると、ちょっとピント外れな言いがかり?に取れなくもない…なんて思っているうちに、ついこの間の事を思い出しました。
尖閣諸島で中国人船長を沖縄地検が釈放した問題で、龍馬ファンの方たちがサイトで熱くなっていました。
龍馬が生きていたら・・・という発想が自然に出てきて、それからが私もコレはイケナイな〜と思ったのです。
例えば、「龍馬さんなら今頃中国へ攻めて行ってる」とか、「前原さんは龍馬ファンだから、前原外相のやることは間違いがない」とか。龍馬ファンなんて、政治的には右から左までいる訳です。それぞれが勝手な龍馬像を自分の都合で描いていて、そんなことは当り前と私たちなら思いますが、真面目に?ファナティックになっていく怖さを垣間見ました。私も司馬遼太郎の描く「竜馬の青春」に胸を熱くした一人ですが、尖閣問題で新たなナショナリズムに龍馬が火をつけるようでは困ったものだと感じたところです。

明治維新に活躍した人たちは国の礎を築いた人として靖国神社に祀られていると言います。
坂本龍馬は祀られていますが、西郷隆盛は祀られていません。明治国家が偉人を決めていたのですから、当然と言えば当然。
その辺も意識していないと国家が決めたことイコールすべて正しいと無意識になってしまいかねません。
お上意識から抜け出て、自分の見る目を鍛えて、一市民としての役割を果たせたらと思うこの頃です。