沖縄「慰霊の日」と「後世特別のご高配を」

明け方のサッカー、日本とメキシコ戦。1:2で負けました。時々横パスが続いてゴールが遠い…サッカー見始めのころの日本みたいな感じが。監督の選手交代にも問題がありそうですし、ここからどこまで行けるか、1年先が楽しみです。
富士山の世界文化遺産三保の松原を含めて登録決定は嬉しいニュースでした。
三保の松原は、もうずいぶん前のことになりますが家族会で訪れてあの松原を歩いたことがあります。それに私の新婚時代のスタートは沼津で、富士山は毎日見ていました。愛鷹山が手前にあって裾野は見えず、いつも天辺だけなのですが、それでも、関西から来た私は富士山が毎日見える暮らしは夢みたいでした。登ったことはありませんが新幹線や飛行機の窓から富士山が見えると何だか良いことがありそうで得した気分にもなります。
これからの課題という注文もついていたようですが、決まれば整備も管理も行き届くでしょう。天皇陛下が来られると道路や施設が良くなるという日本人ですから、世界からのお客さんが増えるとなれば・・・大丈夫でしょう(自虐的です)。(木立性ベゴニアの花が一輪開いて黄色いシベが見えます)
さて、今日は6月23日、沖縄「慰霊の日」です。
今朝の「生き生き箕面通信」さんの記事で「慰霊の日」とは…を考えてみます。

 「慰霊の日」は、68年前のこの日をもって沖縄での組織的戦闘が終結したとされる日です。当時の司令官・牛島満・中将が自決したとされる日でもあります。


 沖縄では島民の4人に1人、20万人以上の人が犠牲になりました。この多大な犠牲は、日本本土の軍部を中心とする権力中枢が、本土決戦のための準備に要する時間かせぎに沖縄を防波堤、あるいは捨て石とした結果です。



 現地で海軍の指揮を執っていた大田實・少将は本土参謀本部あて最後の電文で、沖縄の人々が生命、財産の全てを投げ打っていかに苦しい戦闘に協力したかを述べたのち、「一木一草焦土と化せん。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」と打ち、6月13日に戦死しました。


 他方、陸軍の牛島中将は、「最後まで敢闘し、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と美辞麗句を連ねた訓令を残して、自分はさっさと自決しました。この「生きて虜囚の辱めを受くることなく」という訓令が遺されたために、その後も部隊員や県民は白旗を掲げて投降することができず、いたずらに犠牲者を増やす結果となりました


 「慰霊の日」は、「多くの尊い生命が失われた冷厳な歴史的事実にかんがみ、戦争の惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰めるために」追悼する日です。

全文はコチラ『沖縄「慰霊の日」に出席する安倍首相は本当は何を思うのでしょうか』http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/0463fdcaa0b607aee42ff51c47f046a7
この記事の中で『本当に沖縄のことを大切に思っているのなら、アメリカ軍の基地をすべてお引き取り頂くように外交交渉に全力をあげるべきです。少なくとも沖縄に対する基地差別を改めてこそ、大田少将が遺した「後世特別の御高配を賜らんことを」の願いに最小限応えることになるのではないでしょうか』と「生き生き」さんは書いておられます。
又、今朝の「琉球新報」の社説『慰霊の日 軍は住民守らず 「心の傷」抜本調査を』では、「沖縄戦の教訓」は『軍隊は住民を守らない』ことだとしています。一部を引用してみます。

 日本政府は、早急に全ての体験者を対象にしたPTSD調査を実施すべきだ。深刻な心の傷を抱えている方々に、適切な治療を施す責任がある。
 同時にPTSD発症の一因とされる米軍被害をなくすためにも、普天間飛行場の閉鎖・県外移設、日米地位協定の改定は不可欠だ。


 沖縄戦は「本土決戦」準備が整うまで、米軍を一日でも長く沖縄に引きつけておく「出血持久戦」(「帝国陸海軍作戦計画大綱」)だった第32軍が司令部のある首里で降伏せず、沖縄本島南部の摩文仁、喜屋武一帯に撤退したのは、当時の大本営の方針に従ったからだ


 第32軍は沖縄県民を守るために配備されたのではないので、住民保護の視点は決定的に欠落していた。「出血持久戦」によって、南下した非戦闘員が戦火に巻き込まれ、おびただしい人々が犠牲になった。日本兵による食料強奪、壕追い出し、壕内で泣く子の殺害、住民をスパイ視しての殺害が相次いだ


日本軍は住民から機密が漏れるのを防ぐため、住民が米軍に投降することを許さず軍と共に生き、軍と共に死ぬ「共生共死」の指導方針(「報道宣伝防諜(ぼうちょう)等に関する県民指導要綱」)を発令していた。そのため戦場で日本軍による命令や、強制、誘導によって親子、親類、友人、知人同士が殺し合う惨劇が発生した県民にとって沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」だ。

(全文はコチラ:http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-208379-storytopic-11.html

沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」という大田實少将の願いが、今の沖縄の姿です。
余りに酷い・・・