「アッツ島”玉砕”の真実」(報道特集)と「防潮堤問題の転換点」(報道ステーション)

2つの新聞記事に次いで今日2つ目の記事です。
3日(土曜)のTBS/報道特集と4日(日曜)のテレ朝/報道ステーションSUNDAYの放送から。

「玉砕の原点アッツ島・・・美化された兵士集団死の真実」 (2013/8/3 放送) 
番組サイトの紹介文から:「アリューシャン列島の中ほどにアッツ島という島がある。第二次大戦で日米間の熾烈な戦闘が繰り広げられ、日本軍は全滅、「玉砕」という言葉が初めて使われました。 今年はその悲劇から70年にあたる。金平キャスターが今は無人島になっているこのアッツ島を訪ねた。」
◇この日も夕飯の準備の途中、慌ててテレビをつけたら始まっていました。
日本軍2600人以上が全滅のアッツ島で、アメリカ軍の捕虜となった29人の日本人生存者がいました。その中の一人、高木発明(はつあき)氏を金平キャスターが訪ねて筆談のお話を聞いています。出身村では葬儀が行われ天皇皇后両陛下から御香典も下賜されていました。捕虜は「不忠の中の不忠」と書き記す高木さんは舌を噛んで自殺しようとしたが死にきれず。生還した高木さんは、玉砕者名簿から自分の名前を削除することを願い出ることはありませんでした。金平キャスターの何故という問に、涙ながらに「みんなと一緒にいたいから」と。

 アッツ島は、アンカレッジから2400km、沿岸警備隊が管轄する立ち入り禁止の島。島の大きさは佐渡島ほど。今回、金平キャスターとRKB西嶋真司ディレクターとカメラマンの取材班は、アメリカ政府の許可を得て、ロシアとの国境に近いこの島に入ることに。
開戦当初、勢いに乗り占領地を拡大していた日本。昭和17年6月、アメリカ領のアッツ島キスカ島を占領した。守備隊の主な任務は、アメリカ軍の侵攻を防ぐため、飛行場を建設することだった。しかし、アメリカ軍の軍艦や爆撃機によって補給は阻まれた。守備隊2638人は孤立していく。日本軍の占領から1年経った昭和18年5月12日、アメリカ軍がアッツ等に上陸。守備隊の4倍、1万人あまりの大兵力が押し寄せてきた。

昭和18年5月29日深夜、生き残っていた100人あまりの日本兵が、谷に沿って突撃したとされている。アメリカ兵が立てたという木の墓標が、今は朽ちて転がっている。


アッツ島守備隊長山崎大佐は、アメリカ軍上陸直後から厳しい戦況を伝え、増員兵力と物資を要請していた。歩兵一個大隊半およそ1500人、機関銃、手榴弾、高射砲の弾薬といった武器。さらに底を付きかけていた食料も求めていた。しかし、大本営は見捨てることを決め、事実上の玉砕命令を出していた。

電文の内容は、「最後に至らば潔く玉砕し、皇国軍人精神の成果を発揮することを望む」。玉砕命令を受けたアッツ守備隊長は、怪我を負い歩けない兵には自決を命じた。昭和18年5月29日、守備隊は最期の突撃を敢行し全滅したのである。

大本営は、「アッツ島守備隊のわが部隊は、ついにことごとく玉砕しました。山崎部隊長は、ただの一度も兵の増援を要求したことがないし、また一発の弾薬の補給をも願ってまいりません」と守備隊自ら玉砕したと発表した。「山崎部隊長は、状況の推移を達観し、最期の決心をいたしました。それは敵に大鉄槌を下し、皇軍の真髄を発揮せんというのであります」「アッツ島皇軍の真髄発揮の聖地として、永遠に悠久に歴史の上に記されることになったのであります」。 大本営が玉砕という言葉で部隊の全滅を公表したのは、アッツ島が最初だった。


大本営は作戦の失敗を隠蔽し責任逃れのために、「部隊長は一切の援軍を望まなかった」とウソの発表を行いました。このことは、アッツ島玉砕を美化して顕彰する国民歌の歌詞となって歌われてもいます。この島に米軍の一員として「玉砕」を目撃したアメリカ人がいました。今は日本人でもあるドナルド・キーン氏です。キーンさんは、「生きて虜囚の辱めを受けず」の「玉砕」の思想は、大正時代に日本軍が作った考えであって、日本の伝統ではない、無益な自殺を強いられた日本の悲劇だと。

アッツ島血戰勇士顕彰國民歌」歌詞(http://kouzuke.s11.xrea.com/nippon/kashi/attutou-kessenyuusi-kensyou-kokuminka.html

参考ブログ「玉砕 隠された真実」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/attu_gyokusai/attu_gyokusai.htm
●●テレビ朝日の4日(日)のお昼前、これも途中から見ました。
先月18日の京大シンポジュウムのパネリストの一人だった畠山信(まこと)氏がテレビ画面に。
女性キャスターがインタビューに気仙沼の舞根を訪ねているようです。画面にはタイトルが:特集「もう防潮堤はいらない!」/町が計画撤回した理由
その前に北海道の奥尻地震後に出来た防潮堤で海が死んだという取材を。この辺から見出しました。
「海は森の恋人」という考えからは、当然の結果です。森の腐葉土を通り抜けた栄養たっぷりの水が川や地下水となって海に注がれることで海のプランクトンは育つのです。舞根の住民が集会を開いて、防潮堤計画を撤回したいきさつを話しておられたようです。
畠山氏は、「防潮堤は、必要なところには作ればいいし、不要な場所には防潮堤は作らないでほしい」「その選択の幅が住民にないし、住民でまとめようとする輪が出来ていない」とも。震災からの復興がままならない様子です。
女性キャスターが、復興は急がなければならない課題と、ゆっくり取り組む課題とに分けて取り組んでほしいとまとめていました。
◆◎「日本がアブナイ!」さんの「安倍ゴーマン官邸、野党を門前払いに」によりますと:

民主党など野党5党の国対委員長は7日、憲法改正に絡み戦前ドイツのナチス政権を引き合いにした麻生太郎副総理兼財務相の罷免を求める共同声明を官邸に持参したところ、門前払いを受けた。面会予約がないとして正門前で職員に制止された。野党とはいえ、国会議員が官邸に入ることさえ拒まれるのは異例だ。(産経新聞8月7日)

 詳しくはコチラで:http://mewrun7.exblog.jp/20904105/

PS:「参照」:「アッツ島の戦い・地図・生存者・昭和に行われた日本とアメリカの戦い」 ( http://matome.naver.jp/odai/2143666686305597401
アッツ島の戦い・地図・生存者などについてのまとめ)更新日: 2015年07月12日