「僕はなぜ止められなかったのか?」-悔いなく生きる

これは今年ニューヨークの野外美術展に出展されたカナダ在住の友人の作品です。
紅の旗は大文字の送り火の炎を表しているのだそうです。
日本では送り火はお盆に迎えた死者をあの世に送り返す炎ですが、彼女がこの炎の旗に込めたのは、天と地ではなく、そよ風に左右に揺れる旗のように北アメリカの反対側にある日本へ思いを馳せたいから(”MAN OF FLAGPOLE"より)。

僕はなぜ止められなかったのか?
〜いじめ自殺・元同級生の告白〜
総合2013年8月25日(日)午後9時00分〜9時49分


14歳のとき、“相棒”と呼び合った友だちから「今までありがとう。さようなら。」というメールを受け取った少年がいる。その友だち・篠原真矢(まさや)くんは、 自分や友だちがいじめられていることを苦にし、少年にメールを送った直後、自ら命を絶った。
少年は、「なぜ何もできなかったのか」と悔やむ気持ちを抱えながら、3年たった今も、月命日には必ず真矢くんの両親のもとを訪ね続けている。
いじめは、被害者だけでなく“傍観者”にも時として大きな心の傷を残す。番組では、少年が「何もできなかった訳」をドラマで掘り下げながら、その悔いをなんとか軽くしてやろうと言葉を探す父親との交流の夏をドキュメントで追う。

これは、とてもつらい番組でした。
「もう恨んでいないよ、逆に巻き込んで悪かったと思っている」というメールを貰った彼は、その時、ケイタイを家に置いてカラオケを友達と一緒に楽しんでいた。その夜遅くか一夜明けてだったか後になってメールを読んだ彼は、「どういうことだ、冗談だよな」「どうして返事をくれないんだ」と打ち返しています。
15人もの友達に、1時間ほどかけて最後のメールを打ち続けた真矢くん。誰からも返事がなく、絶望して命を絶ったのか、あるいは、返事のないのは覚悟の上だったのか・・・辛くてさびしかったろうと思います。
どうして、最後のメールを受け取った誰一人として駆けつけてくれなかったんだと恨む親。
ところが、月命日になると少年をはじめ数人の友達が泊りがけで両親を訪ねてくるようになっています。
一際明るく振る舞う少年が最後に息子から受け取ったメールの内容を知った両親は、死んだ息子が”罪なことをした”と思い至り、そんな重荷を背負わされた少年の苦痛を思いやる。
今年の命日の前夜、真矢くんの両親は少年に「泊まりに来ないか?」と誘います。誘われた少年は、母親に告げて、出かけます。母親も何となく心配そう。そして、両親から、「無理してないか?」と聞かれた少年は、笑ってはぐらかして一時は真矢くんの部屋に引きこもってしまいますが、30分ほどして出てきます。「今度は真面目だから何でも聞いて」と覚悟した少年。
両親は、息子について一番聞きたかったことを少年に訊ねます。「自殺することは一言も聞いていなかった」と少年も答えます。「もう責任を感じなくていいよ。いつも心配していた。来てくれるのは嬉しいけれど、頑張っていないか、無理していないか・・・」。命日のお墓参りに3人で出かけ、その日はまた友人たちも集まって真矢くんの両親と過ごします。
少年は、「自分はこれからも責め続けると思うけれど、責任を感じなくていいと言われて嬉しかった」と話します。
彼がNHKのこの番組の取材を受けたのは、伝えたいことがあったからです。その時、あふれる後悔と自責の涙をぬぐいながら、今同じ立場にある人たちが、友人の言葉を聞き流さないで、受け止めて、直接助けることができなくても、話を聞いて、二人で考えることだけでも出来るのではないか、と訴えていました。過剰だと思うくらいの受け止め方をしても・・・とも話していました。
後悔することがこんなにも辛いものか…と少年を見ていて思います。悔いを残す・・・死んだ少年も可哀想ですし、助けられなかった少年も、子どもを失った親も本当に辛い思いを抱えて生きていかなければなりません。静かに涙が出てきます。
後悔しない生き方、悔いを残さない生き方をしたいと思いました。
今そういう生き方をしている人として、新潟の泉田県知事の記者会見の言葉が…

◎おススメ記事:「生き生き箕面通信」さんの<沖縄・高江の闘いのドキュメント映画「標的の村」は31日(土)から>

 安倍政権は、アメリカ軍専用のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を沖縄の高江で作る工事を強行しています。その建設に反対する住民の粘り強い取り組みを追い続けた、琉球朝日放送制作のドキュメント映画「標的の村」が、明後日8月31日(土)から大阪・十三の第七藝術劇場で始まります。

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