造幣局の通り抜けと華道展


昨日は先週に続いて、3人でお茶の先生のお花の展示会へというつもりでしたが、17日が造幣局桜の通り抜けの最終日だということで両方を1日でと出かけることに。
大阪に居て造幣局桜の通り抜けは初めてです。朝、コーヒータイムの時に母は、「やっぱり近くの桜のトンネルが一番、だけど、見ないと話にならないから行っておいで・・・」と何やら自分の経験から”大したことないよ”と言いたげですが、行ってみなきゃ解りません。気温は高くなりそうなので、下は薄着にして脱げるようにして出かけました。
阪急梅田から地下鉄谷町線で2駅、天満橋で降りると、「造幣局はコチラ」の張り紙がしてあって、流れに従って歩くことに。屋台のつづく道沿いを進むと、いよいよ川沿いの造幣局の桜並木に入りました。
さすが最終日、殆どの木は花が終わったり、散りかけていますし、咲いている花の勢いもありません。残っている花を見つけて楽しむことに。
若い日本人カップルかグループかと思っていると日本語を話していないというケースが何回も。アジアからの観光客が大勢来られているようです。


御衣黄(ぎょいこう)という桜の色、何とも不可思議な色をしています。
グリーンがかった花の色が目立ちます。

一本のボタン桜の木の下にバギーが並んでいます。母親たちと記念撮影をするために並べられているようです。
赤ちゃんより少しお兄ちゃんの子供が話しかけているのが可愛いです。
さて、いよいよ今年の桜の「松前琴糸桜」(まつまえこといとざくら)です。思いのほか派手さがなくて小さめの可愛い花でした。色も複雑な少し濃い目の色をしています。
パンフレットによると:造幣局の桜は、明治の初めに藤堂藩の蔵屋敷(泉布観の北側)から移植され、品種が多いばかりでなく、ほかでは見られない珍しい里桜が集められていました。(↓左は中ほどにある「中門」です)

明治16年、当時の造幣局長遠藤謹助の「局員だけの花見ではもったいない。大阪市民と共に楽しもうではないか」との発案で、満開時の数日間構内川岸約560mを開放して一方通行による通り抜けが始まりました戦時中一時中止したこともありましたが、昭和22年に再開され、同26年からは夜桜も始まり、現在では大阪の年中行事の一つとなっています
下の写真は「鬱金(ウコン)桜」。
鬱金色というのは、ショウガ科のウコンの根を染料に用いた黄色っぽい色のことだそうです。先ほどの緑っぽい御衣黄(ギョイコウ)と、この2種類の桜の実際の色を見ることが出来て大収穫でした。


天満橋から結局南森町まで歩いたことに。
外に出てからバス停が近くにあったので大阪駅行きのバスに乗ることに。
先生が出品されている華道展は阪神百貨店の8階会場。ランチを済ませて上へ。
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大賑わいの会場、まず先生の作品を。
苗字が同じ方で、これかな〜というのを写真にとって。用心のためNさんが携帯で先生に連絡、間違いだとわかり、先生の作品の前で先生ご自身の解説を聞く。
本格派というか型通りの活け方ではなく、条件があって4段の段違いの台の上が舞台です。金属かと思った花瓶は、陶器で焼いて金をかけてまた焼いたもので特注。それを10個。アンスリウムとタニワタリに紫の丸い花を長い茎の先につけた花を組み合わせてあります。喜寿ほどのお年の先生の大胆で独創的な生花に皆ビックリ。真っ直ぐのものをくねらせたり、曲がったものを生かすという裏話をお聞きしました。会場の温度が高く乾燥しているので、保守が大変。咲ききった花は終わった後、全部活け直すそうです。、

入り口近くの水盤の中にカメの形をした花止めを見つけました。
この華道展は「家元継承記念」と銘打ってあります。
最初に9世の方の、最後に10世の方の大作が活けてありました。
花粉症のアレルギーに苦しんでいるNさん、会場の花に早速反応して、涙が出るし、息苦しいとか。私も最近、風邪気味なのは花粉症?と気づいたところですが、会場のお花には全く反応しないので、ヒノキのみの花粉症で軽症だとわかりました。
お花にしてもお茶にしても家元制度が延々続いているのには、何かしら存続の意味とそれなりの工夫があるのでしょう。
個人年金の余裕がなければ誘われても覗く気のなかった世界ですが、1800年代初めから続くというお花の昔ながらの伝統的な活け方とそれを崩してというか破壊して乗り越えていく新しい活け方、花材、見せ方などに驚くばかりでした。