なぜ解かれた?封印の「焼き場に立つ少年」


14日に取り上げた「焼き場に立つ少年」のコメント欄に「『ウインザー通信』さんが、この写真を撮ったジョー・オダネル氏のことを紹介してくれています。よろしければどうぞ。」というコメントを頂きました。「ウインザー通信」さんというのは、「アメリ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&老三毛猫と暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。」
そこで紹介されていたのはNHKスペシャルの「解かれた封印〜米軍カメラマンが見たNAGASAKI」です。動画の紹介の後に写真を付けた書き起こしをされています。
そこには数奇な運命で日本の原爆被害の子供たちを写真に撮ることになった一人のアメリカ兵の物語がありました。
彼は日本の長崎で軍令に背いて自分のカメラで撮ってはいけない写真を撮っていました。それをアメリカ国内に持ち帰り、トランクに収めると誰の目にも触れないように、そして家族にも開けてはいけないと長年封印してしまいます。
ところが、ある日、自ら封印を解いて悲惨な原爆被害の様子を写した写真を取り出します。それは、嵐を呼び起こします。アメリカ国内からも、家族からも。それでも彼はその写真、アメリカが落した原爆投下の現場を写した長崎の写真30枚の展示公開をし続けます。
これは原爆投下に正当性があるのかというアメリカの問題であり、国家と個人の問題であり、戦争と平和、原爆被害と国家、親と子、加害国と被害国、憎むことと許し合い、など様々な問題について考えさせてくれる物語になっています。彼は写真を携えて日本に来るようになって一番気がかりだった「焼き場に立つ少年」を探したそうです。別の出会いはあったもののこの少年は行方知れず。「あの時、少年の肩を抱き、なにか励ましの言葉をかけたかった、しかし、できなかったといつも話していた。」
放射線量の高い長崎の爆心地を歩き回った彼は原爆病を発病して国に補償を求めたりもしますが85歳で亡くなります。彼の写真と公開の仕事を引き継いだのは息子です。
このNHKスペシャルを写真と文字起こしで再現した「ウインザー通信」さんのまえがきです。

「あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?」(再掲)

2014年08月07日 | 日本とわたし



この記事は、2013年の5月2日に書いたものです。
またあの、ふたつの原子爆弾が、広島と長崎に落とされた8月がやってきて、それと同時に、この記事を読んでくださる人が、ちらほらと現れ始めました。
つい最近まで、ビデオの静止写真をうまく載せることができずにいたので、この記事も他と同じく、言葉のみの文字起こし記事だったのですが、
写真掲載が、以前より何倍も、きちんとできるようになりましたので、今回は写真付きのものにして、ここにもう一度載せておこうと思います。


↓以下、再掲載はじめ


今朝一番に、このビデオと出会った。
50分の、長いものだけども、どうしても記録として残しておきたくて、家事や仕事の合間を縫って、ほぼ一日かかって文字起こしした。
わたしは、この『焼き場に立つ少年』の写真を、先日、迷彩色の軍服を着て、うれしそうに戦車に乗ってた男に突きつけたい。



その男は権力者で、我々を権力(者)から守るために生まれ、権力者の上に立ち、権力者に歯止めをかける憲法を、いじりたくて必死になっている。
まず、96条をいじり、その後、自分らの都合のいいように変えていくつもりでいる。
特に、平和憲法と呼ばれてる9条は、暴力の連鎖を断ち切り、人類の進むべき道を指し示す、世界にも誇れるもの。
それが、戦争という状況を作り、指揮官をやってみたくてたまらずにいるあの男らのような輩にはだから、9条は邪魔で邪魔でしようがない。


わたしたち主権者にとって、今ほどしっかりしなくてはならない時があるだろうか。
この今を、これまでのようにうっかり過ごしてしまったら、過ちをまたくり返すことになる。
歴史の中には、往々にして、そういう繰り返しが存在しているけれども、
くり返していいことと、絶対にくり返してはいけないことがある。


戦争に向かわされること。
知らないうちに、あるいは知らないふりしているうちに、すっかり巻き込まれてしまうこと。
もうそんな、世にも愚かな、悲しいことにならないよう、『焼き場に立つ少年』の写真を、心に血がにじむまで、刻み込んでほしい。

◎是非こちらでそのジョー・オダネル氏とその息子に引き継がれた写真の物語(実話)を伝える「NHKスペシャル」を:http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9