四国の(山の)写真家であるtoshiakiさんのブログ「Landscape diary ランスケ ダイアリー。山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景… 視線の先にある風景の記憶を綴ります。」で、内田樹氏の「街場の戦争論」という本を取り上げておられます。選挙前に読む本として挙げておられますが、内容について、ブログの写真と一部をコピーして紹介させていただきます。
百田尚樹の「殉愛」と並んでランクインしているのが、なんだか痛快だ(笑)
私には武道家、内田樹の身体論からのアプローチの方が馴染みやすい。
武道とは、危機的状況に陥った時に、いかに生きのびるかを体得する身体運動である。
守りの武術、合気道指南、内田樹の戦争論を選挙前に読んでおきたかった。
口述筆記から起こした本らしいので、とても読みやすい。
ざっと一読して印象に残ったのは、
どんなに独善的で民主主義を足蹴にした政治手法を取っても、相変わらず安倍内閣が高い支持率を保っている。
という信じ難い現象に対する内田樹からの回答。
安倍晋三の目指しているのは、「日本のシンガポール化、国民国家の株式会社化」。
シンガポールという国は、御存知のように経済発展に特化した独裁国家だ。
治安法の下、メディアも国民も思想統制され反体制言論は完全に封殺されている。
治安が良くて税金が安いので世界中から租税回避と消費活動にしか興味ない富裕層が集まってくる。
金儲けに特化した国なので、この国の選択肢は、「独裁制か、民主制か」ではなく「民主制か、金か」になる。
経済活動を円滑に運ぶには民主制より独裁制の方がより効率的だから。
「世界一企業活動のしやすい国を目指す」と公言する安倍晋三の理想とする国家形態であることも肯ける。
<後略>
◎「内田樹の、吐き出すような言葉が痛い。」で終わっている本の紹介記事ですが、ぜひ、ブログを訪ねてみてください。写真と文字がとても気持ちの良いブログです。コチラで全文を:http://blog.goo.ne.jp/toshiaki1982/e/42a31f561958e1b7866e9a4bc4fea5a4
昨日見つけた記事を一つ。
LITERAの4日の記事は、林真理子さんの、百田尚樹氏の『殉愛』をタブーにしている週刊誌批判を取り上げています。
NHK経営委員のメンバーとして安倍首相が送り込んだ首相応援団の一人百田尚樹氏の鳴り物入りの最新作『殉愛』が、やしきたかじんさんの娘さんから訴えられたというニュースは、日経社会面でも取り上げられましたので記事にもしました。(11月23日の「百田氏訴えられる」)
ところが、こんな週刊誌ネタとして最適の話題なのに週刊誌挙(こぞ)ってのダンマリが気味悪い。権力側の人間のスキャンダルには自主規制が働くのか統制が働くのか、どちらも言論封殺という点で一緒ですが。ただ、その中で林真理子氏のこういう記事がまだ掲載されるということです。コピーしておきます;
林真理子が百田尚樹『殉愛』をタブーにする週刊誌を批判!「朝日を叩く資格なし」
ネットではこれだけ盛り上がっているのに、マスコミではテレビ、新聞、雑誌ほぼ全てが沈黙を続けている百田尚樹『殉愛』騒動。今更ながら、作家タブー、バーニングタブーにひれふすマスコミのだらしなさを思いしらされたかたちだが、しかし、この状況に意外なところから批判の声が上がった。
「このまま知らん顔していようかと思ったが、やはり書かずにはいられない」
本日12月4日発売の「週刊文春」(12月11月号/文藝春秋)でこう切り出したのは、あの大御所作家・林真理子。林は同誌の連載コラム「夜ふけのなわとび」で、メディアがこの問題を報道しないことに違和感を表明し、「週刊文春」も含めた週刊誌を「これで朝日新聞のことを叩く資格があるのか」と徹底批判したのだ。
もともと林は『殉愛』を発売後すぐに読んで、「とても面白かった」と氷解(紹介?)していたらしい。ところが、編集者にこの献身妻が実はイタリア人と重婚の疑いがあると教えられ、調べてみたらネットで大騒ぎになっている。ちょうど、未亡人が夫の闘病記を出した事をきっかけに事件が起きるという新聞小説を連載中だったこともあり、林は真相を知りたいと思った。そして、きっと週刊誌が解決してくれるだろうと信じた。
しかし1カ月近く経っても、どの週刊誌も一行も報じない。たかじんの娘が名誉を傷つけられたと出版差し止めの提訴をしたが、テレビも週刊誌も報じない。こうした事態に林は思う。
「ものすごい不気味さを感じるのである。この言論統制は何なんだ!」
そして林の批判の矛先は週刊誌に向っていく。
「大手の芸能事務所に言われたとおりのことしかしない、テレビのワイドショーなんかとっくに見限っている。けれど週刊誌の使命は、こうしたものをきちんと報道することでしょう」
それができないていたらくに林はこう嘆く。
「意地悪がが売りものの週刊新潮もワイドの記事にすらしない(百田氏の連載が終わったばかり)。週刊文春も一行も書かない(近いうちに百田氏の連載が始まるらしい)」
「あと講談社が版元の週刊現代は言わずもがなである。週刊ポストも知らん顔。こういうネタが大好きな女性週刊誌もなぜか全く無視。大きな力が働いているのかと思う異様さだ」
とくに、林は自分が連載している「週刊文春」にかなり落胆しているようだ。
もともとこの問題を最初に報道したのは「週刊文春」だったが、林は明らかにそのことを意識して「『やしきたかじんの新妻は遺産めあてでは』と最初に書きたてたのは週刊誌ではなかったか」と指摘し、ある新聞社の人のこんな言葉を紹介している。
「週刊誌が自分の主張する記事と真逆なことについて、反論しないのは初めてのケースではないですかね」
たしかに、いくら百田の連載が始まるとはいえ、「文春」は『殉愛』に「真っ赤な嘘」とまで書かれているのだ。それでも一切の反論をしない。いやそれどころか、『殉愛』が出る少し前に、「文春」はたかじんの娘の手記を掲載しようとして百田の圧力で記事を潰されたという情報もある。
林はこんな状態におちいってしまった週刊誌にこう苦言を呈している。「もうジャーナリズムなんて名乗らない方がいい。自分のところに都合の悪いことは徹底的に知らんぷりを決め込むなんて、誰が朝日新聞のことを叩けるのであろうか」
まさにおっしゃる通り。いわれたほうはグウの音も出ない正論だ。
もっとも、林のこの連載コラムがボツにされることなく、掲載されたのも「週刊文春」の強固な作家タブーゆえではある。もしこの林のコラムを掲載拒否などしようものなら、「週刊文春」が口汚く罵った朝日新聞の池上コラム不掲載問題と同様になってしまう。よって「週刊文春」はこの"都合の悪い"コラムを掲載せざるを得なかった。
だが、聡明な林のこと。今回の批判がブーメランとなって自分に返ってくることなどとっくに織り込み済みだろう。少なくとも、自らが属するムラの、自らを守ってくれているタブーの存在を暴露した林真理子の発言は立派というしかない。
(伊勢崎馨)