震災から20年と高倉天皇と初コンサート

1月17日、午後から「古典文学」の会の平家物語でした。
先生がいつも少しお話をして始められるのですが、昨日はあの地震から20年でしたので、20年前のあの日のことから。先生は親から地震の時はまず外に出ることと教わっていた。ご主人は台湾へ出張。大きな揺れであわてて外へ。隣近所、見回しても誰も。箕面の人は地震でも外に出ないの〜というお話に皆さん大笑い。「そら、出ませんわ〜」
「日本列島、地震津波、火山の爆発、地滑り。雨、風の自然災害は昔からで、避けられないですが、この70年戦争だけはしてこなかったのがせめてもですね。でもこの中には戦争を体験した方も・・・・」と先生が仰ったら、後ろの方で、「石橋(地名)で、空襲で家が丸焼けになりました。当時石橋に機械を作ってる工場があってアメリカはそこまで調べていたらしくて、そこを狙ったらしいんですが、4,5軒だけが焼けて、その中にウチ(我が家)も入ってたんです。大阪の親戚の荷物も預かってたのに全部焼けて・・・」という方が。
先生は人災として福島の原発事故にも触れておられました。原発事故と戦争は色んな意味で似ています。今生きている私達しだいでどうにでもなる点でも。戦争直後の、そして私たちが子供時代を送ったころの”戦争だけはしたらアカン”という老若男女共通の思いがアヤシクなってきたように思います。
平家物語で読んでいるのは高倉天皇のところです。

高倉天皇は清盛の娘徳子(後の建礼門院)が奥さんで子どもは安徳天皇。実父は後白河天皇で義父が清盛ということに。色白で身体が弱く気が優しくて21歳で亡くなってと聞くと、権力闘争に振り回される貴公子のはかない一生を思い浮かべてしまいます。その恋物語という訳です。
昨日読んだところは「紅葉」と「葵(の)前」でした。「葵前」では、高倉天皇がご自分の心境を「忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと人の問うまで」という和歌に託すという箇所があります。お正月に坊主めくりをしたときの百人一首が出してあったので探してみました。
作り話なのか本当なのか、それにしても身分の高い男の身勝手? 想われた女の憐れが際立つお話です。あらすじはコチラで:http://roudoku-heike.seesaa.net/article/75372076.html
さて、3時半に終わって、4時からは高嶋ちさ子と男組のコンサートにグリーンホールまで歩いて。夫が今年に入ってからチケットを買ってきました。30分あれば行けそうと思ってホッとしました(歩いて10分ほど)。


ストラディバリウスのバイオリンと美貌とトーク、欠けているのは声(ご本人は「ガラガラ声」と、実際は魅力的なハスキー声)だけね、なんて終わった後、立ち寄った居酒屋さんで。テレビでおなじみの舌鋒の鋭さですが、生のトークはスピード感が伴ってそれはそれは盛り上がりました。ピアノ・クインテットでバイオリン、ビオラ、チェロの男性4人を引き連れての登場。クラシック名曲の前半はピンク、後半は濃いブルーのドレス姿。楽器と演奏者の紹介や、最後は3万円と3億円のバイオリンの聴き比べまで、サービス満点。会場は1:9で正解が多かったです。今年最初のコンサートでいわば公開リハーサル。付き合って下さるのにお金を取るのは気が引けるが、楽しんでくださってるので、ま、いいか、と正直でした。
ピアニストの方が全曲の編曲を担当。ボリュームも十分、聴きごたえもありましたが、クラシックの曲をじっくりそのまま聞いてみたいという気持ちも。ま、高嶋さんの狙い通りなんでしょうね。ホール8,9割がた満員の聴衆を満足させるだけのことはあります。7歳と5歳の二人の男の子にせがまれて夜ごと「日本つくりばなし」を聞かせている。その中からイルカの子供の冒険に曲をつけて…と作曲もなさっていて、「オーシャンブルー」という曲の演奏もありました。
歩いて行ける場所でこういうコンサートを楽しめるのもいいもんです。帰りは少しみぞれが降る中、8時半には自宅に。